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2016年9月11日



イエス様に繋がる心、そして御国に繋がる心とは何か

マタイの福音書8:5~13


(起)   百人隊長の記事から、「イエス様に繋がる心、そして御国に繋がる心とは何か」という

ことについて、学んで行きたいと思います。


(承) さて、カペナウムに駐留していた百人隊長は、イエス様が来られたことを聞いて、

自分のしもべを癒して貰うために、イエス様に願い出ました。早速、イエス様は「わたしが行って

直してあげよう」と言われたのですが、百人隊長は、「主よ。あなたを私の屋根の下に

お入れする資格は、私にはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば、しもべは

直ります」と申し出ると、イエス様はそれを聞いて、「こんな信仰は、イスラエルの中にも

見たことがない」と、驚かれました。この時、百人隊長は、何故このように申し出たのかと

言いますと、彼は異邦人であり、直接ユダヤ人の王に申し出る資格がないことを自覚していたから

です。そこで、彼はこのように言いました。「私にも部下がいます。その部下に対して、『行け』

と言えば行き、『来い』と言えば来ます。また、『これをせよ』と言えばしてくれます」、

「ですから、私は、お言葉だけを頂ければ、十分です。あなた様は、絶対主の御子で、人に対して

絶対的な権威を持っておられる方です。」、「そのような訳で、恐縮ですが、お言葉だけを

頂くことが出来れば、しもべの病は直ります」と、申し出たのです。すると、イエス様は

百人隊長の言葉を聞いて非常に感心され、「これほどの主を仰ぐ心を持った人は見たことが

ありません」と言われ、彼に「家に帰りなさい、あなたの下部は直っています」と言われました。

すると、そのしもべの中風は、主が言われた時刻に癒されていたのです。


(転) では、何故イエス様は、百人隊長の言葉に、それほどまでに感動を覚えられたので

しょうか。それは、百人隊長が持っていた、「自分の誇りを求めない心」を見られたからです。

どういうことかと申しますと、もし、「わたしが行って直してあげよう」と言われた後、

本当にイエス様が彼の家まで行って、しもべに手を置いて癒して下さったとしたら、彼の内には

誇りが育っていったことでしょう。なぜなら、絶対主の御子が家まで来て下さり、奇跡を行って

下さったと他人が吹聴し、知らない内に彼の自負心がくすぐられて、「私はイエス様に愛されて

いたからだ。だからイエス様は私の家まで来て下さって、私のしもべを癒して下さったのだ」

という誇りが育って行くからです。「このような、誇りを人に見せたい。分かってもらいたい」

というのが人間の心です。だから、普通の人なら「どうか、私の家に来て癒して下さい」と言って

しまうところです。ところが、百人隊長はその心を捨てていたのです。だから、「あなたを私の

屋根の下にお入れする資格は、私にはございません。ただ、お言葉だけを下さい」と言えたの

です。その時、彼は言葉だけをもらって家に帰って行ったら、しもべが直っていた、

というのですから、そのことは、彼にとって何の誇りにもなりません。むしろ、「イエス様、

本当にありがとうございました」と、ただ感謝の念しか出てきませんでした。これが、百人隊長の

心なのです。私たちも、この心を抱きたいのです。そして、
自分の誇りや自負心を育てるために

生きて行くのではなく、ただイエス様にあって生きて行く心を養っていきたいのです
。私たちは

元々罪人ですから、その罪人が生きていく術は、イエス様にあって生きて行く以外にありません。

なぜなら、私たちは、罪の責任を全部イエス様に取ってもらった者です。そんな者が、どうして

自負心を持つことができるのでしょうか。私たちは、誇りも何もかも投げ捨てて、イエス様に

あって生きて行く隙間を与えられた者です。
罪人が自分の為に生きて行っても仕方がありません。

では、このイエス様にあって生きて行くということは、具体的にどのようにすれば良いのかと

言いますと、
全てのことを、御霊さまに聞き、また御言葉を読み、イエス様に聞いて、イエス様の

御心を確認して行動して行くことです。そうすれば、それは絶対に自分の誇りにはなりません


しかしながら、私たちはいつも自分で考え、自分で判断して、自律心と自負心を育てて行きます。

それが、無意識の内に自分の自負心を育てて行く原因なのです。
しかし、その自負心は、

一つも御国に繋がらないということを忘れてはいけません。いくら、「主よ、主よ。私たちは

あなたの名によって預言したではありませんか。悪霊を追い出し、多くの奇蹟を行ったでは

ありませんか」(7:22)と言っても、それで御国に入れるわけではないのです。たとえ、

「私は、主を愛するが故に、今まで一生懸命やってきたのです」と言ったとしても、その心の内に

自負心がある以上、「わたしはあなた方を知らない」(7:23)と言われてしまうのです。


(結) ですから、私たちは自負心なんて絶対に育ててはいけません。そもそも、私たちは

生まれながらに罪人で、自負心を育てられるような者ではないのですから、いつも御霊さまに

聞き、またイエス様の御心を確かめて、それをその通りやって行けば良いのです。
絶対に、自分の

自負心を積み上げる為に、イエス様を利用してはいけません。
むしろ、私たちはどんどん

へりくだって、ただ、主の御心をその通りやらせて頂くだけです。これが、罪人がイエス様に

あって生きて行くということです。そして、この心こそ、イエス様に繋がる心であり、

御国に繋がる心です。どうか、いつも絶対主にあって考え、絶対主にあって判断し、自分を主に

明け渡して行く。そうすれば、無意識に絶対主への確信が育って行くでしょう。

この道を一筋に歩んで行きましょう。
  

 

 


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