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2016年6月5日



律法の行いによってではなく、
イエス様を信じ仰ぐことによって生きていく


ガラテヤ人への手紙2:20、5:4他


(起)「律法の行いによってではなく、イエス様を信じ仰ぐことによって生きて行く」という

ことについて、学んでいきたいと思います。

(承)さて、5:4を見ますと、「律法によって義と認められようとしているあなた方は、

キリストから関係が切られ、恵みから落ちてしまったのです」とあります。この「律法によって

義と認められようとしているあなた方」というのは、「私は律法を守って生きて行きます、という

ユダヤ人だけのことを指して言っているのではありません。ここで言っている「律法によって義と

認められようとしているあなた方」というのは、「罪人であるという自分を見失っている人すべての

クリスチャン」のことを言っているのです。もし、「自分は罪人である」という自覚をちゃんと

持っている人であるならば、「自分の義を現すことなど、出来るはずがない」と悟っています。

なぜなら、「自分は生まれながらに罪人だ」と、分かっているからです。だからこそ、ただ

イエス様を信じ仰ぐことによって生きて行こうとするのです。しかし、罪の自覚を失ってしまって

いる人は
、自分の力に頼り、「自分が何か良き行いをすることによって認めてもらおう」と考え

ます
。そのような人は、イエス様の贖いだけでは足りないと思い、自分の行いで、補おうとして

いるのです。その人は、イエス様を信じ仰ぐことによって生きているのではなく、律法の行いに

よって生きて行かねばならないと、考えているのです。だから、「キリストから関係が切られ、

恵みから落ちてしまう」のです。

(転) では、私たちはどうでしょうか。クリスチャンは、救われたのだから、「良き行いをする

ことによって、人に褒められ、認められて行くべきだ」という思いを持って、生きて来たのでは

ないでしょうか
ところが、現実はどうだったでしょうか。かえって、「褒められたい。認められ

たい」と思うが故に、自分のわがままを通してきたのではないでしょうか?そして、結局は人に

受け入れられない自分自身を味わってきたのではないでしょうか。この現実は、きちんと受けとめる

べきです。私たちは、「人に受け入れられる者になりたい」と思ってもなれない、逆に人から

嫌われてしまう、そういう罪人だという事実を知るべきです。それを自覚しない人は、どこまでも、

「自分は人に認めてもらえる人間になりたい」と、勝手に妄想して行くことになります。そういう

人は、罪の自覚が喪失して行きます。だから、イエス様の救いを必要としません。こうして、

その人は「キリストから関係が切られ、恵みから落ちてしまう」のです。私たちは、生まれたとき

から無条件で罪人です。だから、「自分のこの部分は良いはずだ」と言ったとしても、絶対主の

前には通用しません。なぜなら、それ以上に悪い行いをしているからです。たとえ、一つや二つ

良き行いをしたとしても、それによって、悪い行いをしたという事実が消えるわけではありません。

罪を犯した以上は、その報いを受けなければならないのです。しかし絶対主は、そういう自分自身で

あることを認め、「受け入れてもらえるようなところは一つもない」という事実をちゃんと心の内に

留めている者に対して、「そんなお前のために、我が子の贖いがあるのだ。だから、これからは

そのことだけを見て、へりくだってわたしのところに来なさい」と言って下さるのです。


(結) だから私たちは、「自分の力に頼って、自分の努力や行いを現して行く」という律法的な

生き方をするのではなく、「私を愛し、私のためにご自身をささげられた絶対主の御子を信じ仰ぐ

ことによって、生きるのです」。(2:20)という生き方をするのです。ですから私たちは、

イエス様が言われることは何でも、「はい。分かりました」と言って、へりくだって聞いて行く、

本当の「イエスマン」となって行くべきです。
イエス様のお考えよりも、自分の考えを優先しようと

する姿勢は、絶対に間違っています
。そのような律法主義の人は、「自分は罪人である」という

立場を忘れて、どこまでも自分の力でやろうとして行きますので、キリストから関係が切られ、

恵みから落ちてしまいます。どうか、もう一度原点に帰って
「律法の行いによって義とされるのでは

ない。自分は罪人なのだから、イエス様の恵みによって生きて行く」
というところに立って下さい。

そこに立てば、
へりくだるのが当然砕いて行くのが当然下手に出て行くのが当然になります。

どうか、罪人であるという自覚を持って、律法の行いによってではなく、イエス様を信じ仰ぐことに

よって、へりくだって生きて行きましょう。

 

 


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