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2016年4月3日



一番価値のある命の使い方

ヨハネの黙示録12:7~12



(起)「私たちにとって、一番価値のある命の使い方は何か」ということについて、学んでいき

たいと思います。

(承) さて、9節を見ますと、「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全

世界を惑わす、年を経た蛇は、地に投げ落された」とあります。この「年を経た蛇」というのは、

天地創造の初めに現れたあの蛇、サタンのことです。彼は、天においてミカエルと戦いましたが、

勝つことができず、地に投げ落されました。そして、地上に投げ落とされると、男の子を産んだ

女を追いかけましたが、しかし、この女は三年半の間匿われた為に、その腹いせにサタンは、

怒りを発して女の子孫である、「イエスの証を保っている者」に戦いを挑み出て行きました。

なぜ、サタンの戦いを挑む対象が、クリスチャンになったのかというと、クリスチャンは

「絶対主の御手の中にある、絶対主の子」だからです。イエス様がこの地上に来られる前までは、

人間はサタンの支配の中にありました。それは、アダムとエバが、サタンに騙されて罪を犯した

からです。それによって、サタンは、「これで絶対主と人間との繋がりは切れた。自分たちの

勝ちだ」と思ったのです。ところが、絶対主は、罪の中に落とされてしまった人間をもう一度

回復させるため、ご自分のひとり子であるイエス様を、世に遣わしてくださったのです。その

イエス様の贖いによって、人間は再び絶対主と繋がるチャンスを頂きました。そこで、サタンは、

「イエス様によって絶対主の子とされた聖徒たちに戦いを挑み、絶対主の愛している人間を

滅ぼして、絶対主にダメージを与えよう」と挑んでくるのです。
聖書は、この絶対主とサタンの

戦いについて啓示しています。


(転) では、その絶対主とサタンの戦いの中にあって、私たち人間はどうあるべきでしょうか。

黙示録を見ると、「サタンは、聖徒に戦いを挑んで勝つことを許された」とあります。それは、

「聖徒がサタンに殺される」と言うことです。しかし、12章11節には、「兄弟たちは、龍に

打ち勝ち、死に至るまでも自分たちの命を惜しまなかった。」とあります。これは、「サタンに

妥協せず、命を惜しまずして絶対主の側に立つ聖徒がいた」ということです。この勝利をサタンに

突き付けることが、主を信じる者に対する絶対主のお考えであり、願いであるのです。ですから、

私たちに言えることは、これから患難時代に突入して行く者たちが、
そこで助かる必要はない

ということです。
獣は、イエスの証を保っている者たちに勝つことが許されており、どこまでも

私たちを追いかけてきます。それをお許しになったのは絶対主ですから、絶対主のお考えの中では

「クリスチャンの命が奪われてもいい」と決まっているのです。ということは、私たちは、

666の迫害に「助かろうと思わなくてもいい」ということです。それが分かれば、自分の命を

惜しむことなく、獣に命を差し出して、信じていることを証しすれば良いのです。絶対主は

そういう者を必要としておられます。なぜなら、それをすることによって、「獣に殺されても

良いと考えるクリスチャンたちがおり、たとえ命を取られたとしても、イエスキリストを信じて

行く者たちがいる」ということをサタンに突きつけて、絶対主の勝利を証し出来るからです。

すると、
絶対主は心置きなく、サタンを火と硫黄の池に投げ込み、新しい天と新しい地を創って、

キリストの血によって贖われた者たちを御国に引き上げる事が出来るのです。私たちは、絶対主が

サタンに勝利する集大成のために、駒として使われて行くのです。
私たちは、聖書を大局的に、

絶対主の側から見ていくなら、人としての立場がよく見えてきます。人間は、
自分の心に抱く

思いを中心に考え、つい自分の目から見て、「助けてもらうことしか考えません」。
しかし、

それは間違っています。
絶対主の目から見るならば、私たちが命を差し出してこその勝利なの

です。


(結) ですから、私たちは、獣の前で助かる必要はありません。初めから、「肉の命は差し

出してもいいのだ」という自覚を持って行けば、私たちのこの命は、イエス様の証しのために

用いられます。そして、この肉の命は、天に行く時に、すべての罪が洗い流され、新しい朽ちない

体に変えられ御国に入れて貰えるのです。
これが私たちの救いです。それが分かったら、私たちは

「いつでも殉教してもいい」と思えるのではないでしょうか。
所詮、この命は肉の命ですから、

このままでは御国を継ぐことはできません
。御国を受け継ぐためには、新しい御霊の体が

必要です。この御国を受け継ぐ命のために、古い血肉の体は脱ぎ捨てなければなりません。

だから、肉の命を獣に差し出してもいいのです。
これが、私たちにとって、一番価値のある命の

使い方です。
どうか、ここに目を留め、「小羊の血と、彼らの証の言葉とによって、龍に打ち

勝ち、死に至るまでも、自分の命を惜しまず、差し出していく者」(12:11)となろうでは

ありませんか。 

 


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