教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室



2016年2月21日



絶対主からの言葉として

第Ⅱペテロ2:21~22



(起)「砕かれた心に入っていく入口は、むくれる心を砕き、怒られている言葉を絶対主からの

言葉として、そのまま聞くことである」ということについて、学んでいきたいと思います。


(承) さて、今日お読みした聖書の中に、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても

また、泥の中に転がって行く」という御言葉あります。この諺は、アダムとエバが罪を犯した時

の彼らの行動を見ていくと、意味が理解できます。彼らは、絶対主から「善悪を知る木の実を

食べてはならない」と言われていましたが、その戒めを破り、木の実を食べてしまいました。

そのことによって、彼らは自分たちが裸であることを知り、犯した罪の恥ずかしさを思い知ら

されました。にもかかわらず、彼らはそのあと、絶対主から身を避け、
善悪を知る木に身を

隠したのです。まさに、今日お読みした諺のとおり、彼らは、「自分が犯した罪の場所に戻って

行き」、『犬は自分の吐いた物に帰り』ということをしました。また、彼らは、
園の木の中に

を隠しました。これは、『豚は洗われてもまた、泥の中に転がって行く』ということです。

「罪の世界を懲りず、罪の世界にまた戻り、そこに身を置いたのです。」彼らには、「悔い改め

の心がなく、自分たちがしてしまったことを責められたくないと隠れ、絶対主から怒られ、罪を

暴かれるのを嫌ったのです。」人間は、この心の故に、絶対主に背を向け、罪を繰り返し犯す

のです。この諺は、そのような人間の罪の性質を表しています。


(転) では、私たちはどうでしょうか。私たちも同じ罪の性質を持っていますので、人のこと

は言えません。なぜなら、私たちもアダムとエバの子孫だからです。だから、クリスチャンに

なった
今でも、罪を犯してしまった時、絶対主から隠れ、「罪を暴かれたくない。怒られたく

ない」という心を持ってしまうです
その表れとして、日々の生活の中で犯す、個々の罪を指摘

された場合、ほとんどの人は、それに対して素直になれず、むくれる心を表します。自分が

犯した罪を正直に認めようとしないで、怒られることから逃げ、顔を避けて知らんぷりするの

です。これは、まさにアダムとエバの罪の性質をそのまま受け継いでいる姿です。そして、

すぐに「そんなつもりはない」とか、「なんで自分だけ怒られなくちゃならないの」という

気持ちになります。そのような心を抱くと、顔はむくれ顔になり、口先で「ごめんなさい」と

言っても、それは反発の心を持ちながら言っている言葉に過ぎませんから、
顔付きは暗くなり、

心は閉じられていくのです。更にもう少し時間がたつと、「ごめんなさいと言ったのに、まだ

赦してもらえない」という「すねる心」が入ってきます
すると、最終的にどうなるかというと、

霊的な心を教えようとした指導者のほうが下手に出て、怒られていた者を優しく包んでやら

ないと、心を開かないのです。だから、
いつもむくれた人のほうが勝つのです。「これは、

むくれた者勝ちです。」
このように、私たちは子どもの頃から、こんな生き方を当たり前にして

来ました。
しかし、その生き方は絶対主の前には、決して通用しません。クリスチャンは、

絶対主から怒られて、むくれる心を自分で砕いていかなければ受け入れてもらえません。

しかし、
砕いていくこと自体は、決して難しいことではありません。ただ、怒っている人の

言葉を、絶対主の言葉として聞こうとすれば、その瞬間に、むくれが消え去り、怒られている

ことがその通りだと分かって平安が来ます。
それは、霊的な見方に切り替えた時、素直にむくれ

の心が取れるからです
人は、「受けとめよう」と思った瞬間に心は開かれ、「相手がなぜ

怒っているのか」が分かるのです。それが分かれば、「自分が間違っていました」と素直に謝る

ことができます。私たちは、これからそれをしていくべきです。
それを続けていけば、罪が

消えるわけではありませんが、少なくとも、「これからは、その罪に対して気をつけていこう」

と、へりくだりの心が生まれてきます。それが、「悔いし砕かれた心」なのです。


(結) 私たちは今まで、「怒られてむくれる気持ちは、心の中から自然に出てくるものだから、

仕方ない」と思い続けてきました。しかし、そうではありません。
むくれる心は、自分自身が

否定し、砕いていくものです。それを砕いたときに初めて、心開かれた世界の幸いを味わうの

です
。私たちが砕かれた心に入っていく入口はここにあります。どうか、これを始めていきま

しょう。今まで、むくれることを当たり前にしてきたことを悔い改め、「これからは、むくれる

心を人前に表さない」と決心しましょう。そして、怒られている言葉を絶対主からの言葉として、

そのまま聞いて行きましょう。そうすれば、自分の悪いところが分かり、素直に謝ることが

できます。それをするなら、絶対主は、「それでいい。それ以上謝る必要はない。心を変えて

やっていきなさい」と言ってくださるのです。どうか、今日からこの生き方を始めていこうでは

ありませんか。  
 

 


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室