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2016年10月2日



できないからこそ、必死に絶対主に心を向けて、
一生懸命やって行く


マタイの福音書17:14~21


(起)「できない自分に留まらないで、できないからこそ、必死に絶対主に心を向けて、

一生懸命 やって行く」ということを学んで行きたいと思います。


(承) さて、ある一人の人が、イエス様に所に来て、「私の息子がてんかんで苦しんで

おります。それで、息子をあなたのお弟子のところに連れて来ましたが、直して頂けません

でした」と言うと、イエス様は、「ああ、信じることのできない曲がった時代よ。いつまで、

あなた方に我慢しなければならないのか」と言われました。この言葉はどういう意味かと

いうと、「信じようとしないあなた方に、わたしはいつまで我慢しなければならないのか。

絶対主にできないことはないのだから、その絶対主に心を向けていたならば、癒されたはずだ」

ということです。そして、このあと、今度は弟子たちが、「私たちは、どうして悪霊を

追い出せなかったのでしょうか」とイエス様に聞きました。すると、イエス様は、「あなた方の

信じる心が薄いからです」とはっきりと言われました。何故このように言われたのかというと、

弟子たちは、てんかんの男の子を連れて来られた時、絶対主ではなく、自分自身を見てしまった

からです。自分自身を見て、自分ができるのかなと考えてしまったのです。すると、そこには

不安しか出てきません。人には限界がありますから、自分を見たら気持ちは小さくなり、

「自分のような者に何ができるのだろう」と思ってしまうのです。そうすると、絶対主を

見上げる意識が失われてしまいますから、それが「信じる心が薄い」と言われた点だと、

イエス様は指摘されたのです。


(転) では、私たちはどうでしょうか。実は、私たちも弟子たちと同じです。私たちも

何かあるとすぐに臆病さが出てきます。それは、自分自身の能力の枠の中で考える癖があり、

自分でしようとすると、弱気になり、自信喪失に陥ってしまうからです。そして、「自分は

何をやってもできない。何をやっても失敗する」という思いの中に入り込み、閉じこもって

しまうのです。しかし、20節を見ると、「もし、あなた方が、からし種一粒ほどの信じる心が

あるなら、この山に向かって『ここからそこに移れ』と言えば、移ることでしょう」と

あるように、私たちはこの世にあっては取るに足らない、無きに等しい、からし種のような者

ですが、絶対主は全能のお方ですから、そのお方に自分の心を向け、頼って行くならば、

私たちには考えられないことが起こってくるのです。この経験を積み上げていくと、絶対主に

あって信仰がどんどん成長して行きます。だから、私たちは、「自分には、からし種ほどの

信仰しかないからダメだ」と考えるのではなく、むしろ、
「自分にはからし種ほどの信仰しか

ないが、絶対主にはできないことがないので、全能主に頼って信じてやってみよう」
という中に

入っていくべきです。私たちは弱いからこそ、「絶対主に心を向けて、一生懸命やって行く」

という方向に変えて行くべきです。絶対主は、これから行う全世界の救いの集大成の働きに、

私たちを用いたいと考えておられます。ならば、「私は信仰が薄いから。能力が無いから」と

考えていてはいけません。むしろ、「
私も主の働きに使って頂きたいのです。だから用いて

下さい」という心が、「駄目だ」という気持ちよりも、勝って行くべきです。
「自分には

できない」と思って、お客さんになっているようでは、絶対主に用いられることはできません。

(結) ということは、今の私たちに必要なことは、「自分はできないからダメだ」という中に 
留まるのではなく、「必死に絶対主に心を向け、やるべきことを一生懸命やって行くべきだ」

ということです。自分自身に能力がないことは、もう十分わかっています。しかし、できない

からこそ一生懸命やるのです。一生懸命やらなければ、そこには何も生まれて来ませんし、

今何もしなければ最後まで何もできないまま、役立たずで終わってしまいます。本当にそれで

終わってしまったら、これほど空しいことはありません。「信じた以上は、絶対主の全能の力を

見たい」というのが、私たちの願いです。ならば、もう自分の弱さに留まることを止め、

必死に絶対主を見上げて、何事も一生懸命やって行きましょう。
たとえ、この世にあっては

取るに足らない、無きに等しい、からし種のような者であったとしても、私たちが本気で

絶対主を見上げて、「絶対主はできる」という心を持って行くならば、絶対主は全能のお方

ですから、できない事は何ひとつありません。
どうか、できない自分に留まらないで、

できないからこそ、必死に絶対主に心を向けて、一生懸命やって行こうではありませんか!

これを、教会一丸となって、やり始めましょう。
 

 

 


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