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2016年1月31日



『霊の本心を貫いていく秘訣』

ルカの福音書19:1~10




(起)ザアカイの記事を通して、「上手に肉を満たしていくことが、霊の本心を貫いていく

秘訣である」ということを学んで行きたいと思います。

(承) さて、このザアカイという人は、取税人の頭で、金持ちでした。しかし、決して人から

尊敬されていたわけではなく、逆に嫌われていました。3節を見ると、「彼は、イエス様が

どんな人か見たいと思っていたのですが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができな

かった」とあります。これは、嫌われ者であったザアカイの姿が象徴されています。もし彼が

皆から尊敬されていた人物であったなら、「前へどうぞ」と言って、背が低いザアカイにも

見えるように、皆も協力したはずです。しかし、逆に遮ろうとしたということは、「ザアカイ

なんかに、見せてたまるか」という、民衆の嫌がらせがあったのです。しかも、一端の大人が、

桑の木に登って見ようとしている姿は実に惨めです。しかし、そのザアカイを見られたイエス様

は、彼を見て、「ザアカイよ、急いで下りて来なさい。今日、あなたの家に泊まることにして

いるから」と声をかけられたのです。すると、大喜びしたザアカイは心を180度変え、

「私は自分の財産の半分を貧しい人に施し、また、不正な取り立てをしていましたら、それを

四倍にして返します」と言い始めたのです。

(転) では何故、ザアカイの心がここまでガラッと変わったのでしょうか。

それは、イエス様によって、彼の肉の心が満たされたからです。

イエス様は、たくさんの人がいる中で、嫌われ者のザアカイに目を留められ、声をかけられ

ました。それはザアカイにとっては名誉なことであり、とても嬉しいことでした。ザアカイは、

「みんなから人気者のイエス様が目の前に来て、自分の家に泊まる」と、言ってくださった

ということで肉が満足し、その瞬間に、「お金のことなんて、もうどうでもいい」と思えたから

です。それは、彼の心の内に、損得抜きの喜びが起こり、その喜びの中から、「自分の財産の

半分を貧しい人に施します。また、不正な取り立てをしていましたら、それを四倍にして返し

ます」という、霊の心の本心が出て来たからです。ですから、ここで一つ言えることは、

「霊の本心に立つ為には、ある程度肉の心も満足させてやることも必要だ」ということです。

私たちは、イエス様を信じたことにより、「これからはこのイエス様に懸けていきたい」という

霊の本心が与えられます。しかしながら、いつも霊の本心に立って、四六時中そこに心を向けて

行くことはできません。なぜなら、
私たちは、霊の本心とは正反対の肉の心も持っているから

です。
これは、私たちが生まれながらに持っているもので、死ぬまで消えることはありません。

ですから、上手に付き合って行かなければならないのです。
肉の思いを抑えてばかりいると、

肉の欲求不満がたまり、肉が反抗してきます。すると、霊の本心に蓋がされ、いざというときに

霊の本心に立つことができなくなってしまいます。
ですから、私たちが霊の本心に立つためには、

ある程度、肉を満足させてやることが必要なのです。そして、その肉を満足させてやるための

一つの秘訣は、「やるべきことは先にやっておく」ということです。私たち人間は、「後ろ髪を

引かれるような状況に置かれると、前のものに集中できなくなる」というところがあります。

だから、心おきなく肉の満足をさせるためにも、やるべきことは先にやっておくべきです。

クリスチャンの中途半端な心は、肉の欲望があるにもかかわらず、肉的なことは罪だと思って、

無理矢理押さえて行こうとしたり、あるいは、隠れて不健全に肉の満足を満たそうとしたり、

また、肉の思いを持つこと自体が罪だと感じていることです。しかし、ローマ書にもあるように、

現実は、「自分のしたい善は行わず、かえって、したくない悪を行ってしまう」のが人間です。

クリスチャンも例外ではありません。肉は、死ぬまでなくならないのが真理です。ですから、

罪と関わりのない方法で、肉と上手に付き合ってやらなければなりません。その為に、肉を

満足させることに、後ろめたさを持って中途半端にすると、どこまでも肉の欲望が追いかけて

きます。だから、建設的に肉の欲求を十分満足させてやるべきです。そして、その為に、

先やるべき霊的なことをしっかりやっておけば、心を切り替えて肉の世界を心おきなく楽しむ

ことができます。そして、肉が十分満足すれば、そのあとはパッと気持ちを切り替えて、霊の方

に集中して向かって行くことができるのです。このやり方をしていけば、私たちは悪魔に邪魔

されることも少なくなります。悪魔はいつも、「霊の心だけで歩んでいくことが、本当におまえ

の本心なのか?ずっと肉の方ばかりに心を向けていたじゃないか」と言って、私たちが霊の本心

に立つことを邪魔しようとしてきます。そのような声は、やるべき霊的なことをしていない時

に、聞こえてくるのです。しかし、たとえそのような悪魔の声が聞こえたとしても、霊の本心に

堅く立つことは、肉の強がりではありません。霊の声に立ってやっていくことは決して間違い

ではありませんから、立つべき時に立ってやれたら、それで良いのです。でも、そのように

言われない方がもっと良いのではないでしょうか。言われないためにも、やるべきことを先に

やって置き、心おきなく肉も満足させてやれば、しっかりと霊に切り替えてやって行く事が

出来ます。これが一番良いやり方です。


(結) 私たちは、霊の本心を貫きたいが為に、肉も上手に満足させていくのです。「クリス

チャンは肉のことに心を向けてはいけない」と思っている人もいると思いますが、そのように

自分を戒めてばかりいる人は、ずっと抑えてきた肉がいつか爆発して、肝心なときに霊の本心に

立つことができなくなる可能性があります。だから、肉はほどほどに満たしていって良いのです。

ザアカイも、イエス様によって肉が満たされたことによって、自分の霊の本心を素直に表すこと

ができたのです。これが、霊の本心を貫いていく秘訣です。この秘訣を始めていけば、絶対主へ

の前向きな一本道が見えてきます。どうか、今日からこのやり方を始めていこうではあり

ませんか。 

 


 


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