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2016年2月7日


主の言われる「まんま」を行っていく

ルカの福音書22:31~34、60~62




(起)「自分の考えを砕き、主の言われる『まんま』を行っていく」ということについて、

学んでいきたいと思います。


(承) さて、イエス様は、ご自分が十字架につけられる前夜に、ペテロに対してこう言われ

ました。「サタンは、あなた方を麦のようにふるいにかけることを願って許されました。」

(31節) するとペテロは、「主よ、私は牢であろうと、死であろうと、あなたとご一緒に

行く覚悟です」と答えました。ペテロは、「この気持ちを、イエス様が喜んで下さるはずだ」

と思って、正義感を精一杯働かせて言ったのです。しかし、イエス様は、ペテロとは正反対の

考えを持っておられたのです。イエス様はペテロに対して、「今夜あなたは、鶏が泣く前に私を

三度知らないと言います」と冷たく退けられました。なぜでしょうか?それは、「これから

ペテロを自分の証人として使いたい」と考えておられたからです。もし、ペテロが言うように、

主と共に牢に閉じ込められたり、主と共に死んでしまうことがあれば、ペテロは、主の証人と

して働くことが出来なくなってしまいます。それでは、彼を使うことが出来なくなってしまい

ますので、主は、サタンがペテロをふるいにかけることを許されたのです。確かに、ペテロが

イエス様の筆頭弟子として、「牢であろうと、死であろうと、あなたと御一緒に行く覚悟です」

と言う程の忠誠心を持っていたことは素晴らしかったかもしれませんが、それがイエス様の

お考えではなかったということです。だから結局は、「今日、あなたは、鶏が鳴くまでに、

三度わたしを知らないと言います」とイエス様が言われたとおりになり、彼は
「転んでしまった」

のです。


(転) では、この経験を通してペテロが学んだことは何でしょうか。それは、「自分の考え

がいつも正しいと思っていたら大間違いだ。イエス様の考えをよく理解しておかないと、大変な

目に遭う。だから、これからはイエス様の言われる『まんま』を行っていこう」ということ

でした。イエス様は、「ペテロをこれから用いて行きたい」という考えを持っておられました

ので、「もし、ペテロ自身が、自分のやり方や、自分の考えをしっかり持って主の働きをしよう

とすれば、イエス様が彼にやらせたいと思っていることと正反対のことを、ペテロが自分の

正義感で行おうとして行くに違いない」と思われたのです。すると、イエス様は彼を自由に

使うことができません。だから、
一度転ばせることによって、「あなたの考え方は、わたしと

違うのだ。あなたは全然分かっていない」ということを学ばせて、これから、主に従う者は、

「自分の正義感や、自分が正しいと思うことをするのではなく、常にイエス様の意向を考えて、

『わたしがして欲しい』と思うことをしてくれる者になって欲しい」と思われたからです。

ですから、自分の勝手な思いを通そうとすれば失敗することを、主は最後に教えたかった

のです。これを学ばずして、主の働きを任すことが出来なかったからです。
ですから、主は、

ペテロがとことん主の考えに従う者となる事を願われたのです
実は、同じことを今、私たちも

教えられています。私たちの心の内には、
「自分の頭で考えてやりたい。言われた『まんま』

にはやりたくない」という心
があります。また、「自分で理解してからではないと、したく

ない」という考え方
を持っています。しかし、この考え方は間違っています。私たちは

もともと罪人で、考えても考えても、主の考えから、焦点が外れている者です。たとえ分かった

つもりで、やったとしても、一つも結果を残すことはできません。だから、絶対主が「こうし

なさい」と言われたことを、素直に「そのまんま」する遜りが必要です。「自分は今まで

こうしてきた」とか、「こう思ってやってきた」とか、「このほうが正しいと思ってして来た」

ということに、こだわろうとします。
しかし、いちいち自分の考えを立てようとする自我を

砕き、とにかく「言われたまんま」をやって行く心がないと、自分勝手な奉仕になってしまう

のです。
ですから、主の奉仕は、「自分の勘」でするのではなく、きちんと主の御心を

確かめて
すべきです。どこまでも、「自分がしたいと思うことが、主の御心ではない」という

ことが一杯あるからです。
私たちの奉仕は、どこまでも、主がして欲しいと考えていることを

して行かなければ、無意味になります。
これから私たちは、かつて見たことのないことを、

たくさん見て行くことになります。自分の頭に思い浮かんだことのないこと、かつて聞いた

ことのないことを、イエス様を通して見て行くことになります。そのとき、「自分が経験した

ことがない」ということで、「信じれない」という心を持っていたら、絶対主やイエス様の

お考えに逆らうことになります。だから、「なんで?どうして?」と、自分の頭で考えるの

を止めて、聞いたことを「そのまんま」やって行く、砕かれた心が必要なのです。初めから

結果が分かっている人はいません。「言われたことを『そのまんま』やって行く」うちに結果

が出て、だんだん霊的なものも見えてくるのです。


(結) ペテロは、サタンのふるいにかけられて転んだことによって、「自分の考えなんて

通用しない。自分には何の力もなかった」ということを悟り、「もう自分の考えではなく、

絶対主の考えに従います」という心を持ちました。そして、そこから彼の働きが始まったの

です。私たちも、このペテロと同じように、「自分の思いや自分の考えでやってきましたが、

結局は何もできなかった」ということを悟り、自分を主人として来たところから、絶対主を主

として行く心へと、変えて行きましょう。そして、「主の言われる『まんま』を行っていく」

と決めて、この道に向かって行こうではありませんか。 

 

 


 


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