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2015年 NO.526



 
霊の本音と肉の本音の二面性


  
 人が、自分の罪を知ってイエス様を信じた時、罪人の心の中にもイエス様を信じて歩んで

行きたいと願う霊の心が生まれて来ます
。それまでは、ただの肉の本心のみで生き、罪深い

肉の中で悶悶(もんもん)とするだけでした。しかし、イエス様を信じてから二つの心の

本音を持つようになり、この二つの本音が、自分の心の中でいつも「せめぎ合いの戦い」を

起こしているのです。それを聖書では「肉の願うところは御霊に逆らい、また御霊の願う

ところは肉の性質に逆らうのです。こうして二つのものは互いに相逆らい、その結果、あなた

方は自分でしようと思うことをすることができないのです」(ガラテヤ5:17)とあります。

そんな中で、パウロは「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ5:16)と勧めるのです。

しかし、どうすれば御霊によって歩むことが出来るのでしょうか? 二つの心が自分の本心

としてあるのです。それを一方の本心で生きて行きなさいと言うのです。できるのでしょう

か? 「できます。」なぜなら、私たちの内には二つの本心があったとしても、クリスチャン

なら霊の本心で生きることを願うはずだからです
。すると、肉の本心(本音)はどうすれば

いいのでしょうか? それは無視して棚上げしていいのです。なぜなら、聖書に「御霊に

従う者は、御霊のことに心を向ける」(ロマ8:5)また、「私たちは肉にあって生きて

いても、肉の性質に従って生きる義務を負っていません」(ロマ8:12)とあるからです。

私たちがEDMの働きをするとき、肉の心の弱さに思いを向けて戦うことができるでしょうか?

 絶対に出来ません。敗北するだけです。ですから、「御霊によって歩もう」と願うなら、

「肉の思いを無視して棚上げ」していいのです。
この肉の思いは、死ぬまで無くなりません。

死ぬまで肉の思いと同居していかなければなりません。ならば、自分にとって邪魔になる肉

の思いは無視し、棚上げしていくのです
。これは、肉の放縦の中に歩めということではあり

ません。御霊によって働きをしていくためには、霊の本心(本音)に心を向けて行かなけ

れば、肉の思いに邪魔されるから
です。私たちは、信仰によって、「この肉の性質を十字架

につけてしまったのです。」(ガラテヤ5:24)という生き方を、はったりを効かせて

でも、やって行くのです。死んだ肉に脅かされる必要はありません。肉から離れて霊の本根

で生きていくのが、クリスチャンの主にある勝利の生き方です。
また、もし肉によって罪を

犯したなら、隠そうとせずに告白して、自分の罪の責任を取っていくのです。この心は大切

です。これが勝利の生き方です。


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