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2015年 NO.528

人は上辺を見るが、主は心を見る。
  
  人間は、生まれながらに罪人です。それなのに、人が罪人である事実を無視して、良い子振って誉めてもらおう」とする「お利口振って認めてもらおう」とする。そんな騙し事を
子供の頃から正しいと思ってやって来ました。なぜなら、人は上辺しか見ないからです。
しかし、絶対主は心を見られます。それなのに信じた後でも「真面目に生きて行こうとすることが正しい」と思い込み、やってもいないのに、真面目腐った物言いをし、いかに上手に真面目振るかによって、親や先生に受け入れてもらおうとしていたのです。この生き方は、罪人が自分の罪を隠し、棚上げにする行為です。ですから、罪人が自分の罪を棚上げしてどんなに正しいことをしようとしても、それが何に成りましょうか? 絶対主は、そのような人間を偽善者と言われるのです。それは、口先だけの巧言であり、要領よく人と自分を騙す行為に過ぎないからです。ですから、人はまず、自分が100%罪人であることを認め、へり下った心を持つことです。 そして、そのへり下った心の中で、罪人のために命を懸けて下さったイエス様の救いを、私たちも命を懸けて信じて行くのです。罪人が、罪人である自分を棚上げして、どんなに良い子振ったとしても、罪がなくなる訳ではありません。むしろ、罪人であるという土台の上で、一生懸命 (一生、命を懸ける)に、絶対主の御心を追求して行っていくならば、それは天に宝を積むことになるでしょう。「人は上辺を見ますが、絶対主は心を見られます。」ですから、まず、人は罪人であるという土台の上で、へり下りの心を持って成すべきことをして行きましょう。



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