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2015年 NO.525



 
熊本バンドと現代のクリスチャンの信仰について』


  
 明治4年(1871年)にアメリカ人の教師L.L.ジョーンズの来日によって、熊本バンド

(熊本洋学校)が設立されました。ジョーンズ氏は、リベラル神学(自由主義神学)に立って、

日本の国を道義的な国家の確立のために、神の信仰に生きる自主的な個人形成と、国家主義的

な教育方針
を打ち出していました。そのため、熊本バンド出身者は、後に政治家、官公吏、

マスコミ、教職などに就いて行きました。この自由主義神学とは、1880年代にドイツから

流入してきたもので、「イエスは神に絶対的に依存した純粋人間であって、『神の子イエス・

キリスト』ではなく、『ナザレ人のイエス』として理解し
『イエスがなぜ神の子として信じ

られているのか』を、追求するテーマが、リベラルと言われる所以(ゆえん)であり、自由

主義神学なのです。
そのため、この神学の影響によって、多くの信者が伝統的な信仰から離れ、

19世紀に入ると、キリスト教だけが『天地の創造主として唯一絶対主の信仰である』という

人々の理解が崩れ去って行きました。その急先鋒(きゅうせんぽう)が『進化論』です

このダーウィンの自然淘汰による適者生存説は、「数千年前に創造主によって人類が創造

された」
というキリスト教の宇宙観を、根底から覆して行ったのです。そして、カソリック

では、20世紀の末に進化論を肯定したのです。そんな中で、20世紀の末から21世紀に

かけて今、創造論による「知的デザイン説」が台頭(たいとう)し、聖書の十全霊感(聖書は

全て絶対主のことば)が叫ばれるようになって来ました。
こうした背景の中で明治以後の

日本のクリスチャンたちは、「御国に入る希望より、世での豊かさと希望」を求め出した

のです。
しかし、それ以前のキリシタンたちは、「命を懸けた、研ぎ澄まされた信仰の姿勢」

を持っていました。しかし、禁教令の廃止と共に迫害が止み、「聖書に書いてあることを、

そのまま信じる信仰」は影をひそめて行きました。そんな中で今、世の終りに臨んでいる

時代にあって、絶対主は最後の光を世界に輝かせようと、信仰のリバイバルを、始め出そう

としておられます。すなわち、熱くも冷たくもない、生温いこの時代に、患難時代に入る

警告を始め出されたのです。その警告は、「主よ、主よと言う者が、皆天の御国に入るのでは

ない。」だから、本物の信仰の証しを持ちなさいということです。その本物の証しは、罪人

を救うために来られたイエス様に対し、救いを求める者は、「罪人が罪人である」ことを

認めて、「砕かれた悔いし心」をもって、イエス様を信じ仰ぐことです。頭だけの信仰は、

自由主義神学の遺物です。ですから、
頭でなく心から絶対主の創造によって与えられた命の

現実を信じ、命の主の前にへり下って、御国に入れてもらえる本物の信仰に立つことです。

   



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