明治4年(1871年)にアメリカ人の教師L.L.ジョーンズの来日によって、熊本バンド
(熊本洋学校)が設立されました。ジョーンズ氏は、リベラル神学(自由主義神学)に立って、
日本の国を道義的な国家の確立のために、神の信仰に生きる自主的な個人形成と、国家主義的
な教育方針を打ち出していました。そのため、熊本バンド出身者は、後に政治家、官公吏、
マスコミ、教職などに就いて行きました。この自由主義神学とは、1880年代にドイツから
流入してきたもので、「イエスは神に絶対的に依存した純粋人間であって、『神の子イエス・
キリスト』ではなく、『ナザレ人のイエス』として理解し、『イエスがなぜ神の子として信じ
られているのか』を、追求するテーマが、リベラルと言われる所以(ゆえん)であり、自由
主義神学なのです。そのため、この神学の影響によって、多くの信者が伝統的な信仰から離れ、
19世紀に入ると、キリスト教だけが『天地の創造主として唯一絶対主の信仰である』という
人々の理解が崩れ去って行きました。その急先鋒(きゅうせんぽう)が『進化論』です。
このダーウィンの自然淘汰による適者生存説は、「数千年前に創造主によって人類が創造
された」というキリスト教の宇宙観を、根底から覆して行ったのです。そして、カソリック
では、20世紀の末に進化論を肯定したのです。そんな中で、20世紀の末から21世紀に
かけて今、創造論による「知的デザイン説」が台頭(たいとう)し、聖書の十全霊感(聖書は
全て絶対主のことば)が叫ばれるようになって来ました。こうした背景の中で明治以後の
日本のクリスチャンたちは、「御国に入る希望より、世での豊かさと希望」を求め出した
のです。しかし、それ以前のキリシタンたちは、「命を懸けた、研ぎ澄まされた信仰の姿勢」
を持っていました。しかし、禁教令の廃止と共に迫害が止み、「聖書に書いてあることを、
そのまま信じる信仰」は影をひそめて行きました。そんな中で今、世の終りに臨んでいる
時代にあって、絶対主は最後の光を世界に輝かせようと、信仰のリバイバルを、始め出そう
としておられます。すなわち、熱くも冷たくもない、生温いこの時代に、患難時代に入る
警告を始め出されたのです。その警告は、「主よ、主よと言う者が、皆天の御国に入るのでは
ない。」だから、本物の信仰の証しを持ちなさいということです。その本物の証しは、罪人
を救うために来られたイエス様に対し、救いを求める者は、「罪人が罪人である」ことを
認めて、「砕かれた悔いし心」をもって、イエス様を信じ仰ぐことです。頭だけの信仰は、
自由主義神学の遺物です。ですから、頭でなく心から絶対主の創造によって与えられた命の
現実を信じ、命の主の前にへり下って、御国に入れてもらえる本物の信仰に立つことです。
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