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2015年 NO.521



 
現代のクリスチャンが陥った霊的罠』


   にいじまじょう
 京都、新島襄の墓地の一画に眠っていた熊本バンドのクリスチャンが、五島の楠原教会の

キリシタンの方と出会って、初めて気づいた霊的罠。現代のキリスト者の迷走の原因が

見えて来ました。

それは、日本のキリスト教の禁教政策が解除されたのが明治6年で、それ以後、キリスト教

が合法化され、日本にキリスト教の宣教師が洪水のように押し寄せて来ました。もちろん

プロテスタントの宣教師もたくさん入国して来ました。そして、ヨーロッパ、アメリカの

宣教師たちからもたらされる文明、文化の魅力、そして豊かさが日本人の心を捉えて行き

ました。ちょうど明治7年には、アメリカに密航して宣教師として帰国した新島襄が、

明治8年に京都の地に同志社英学校を設立します。その学生の中に、熊本バンドからやって

来た一人の青年が学びを始めたのです。彼は当時のことを振り返って正直に言いました。

頭がよければ、何にでもなれる。英語ができれば外国人と対等に渡り合える。そして教会

に行けば、生活が豊かになる。また、外国人と付き合えることで、自分が上に見てもらえる。

そして貧乏から脱出できると思っていた」と言いました
。彼はその後、伝道者として働き、

多くの信者の魂を腑抜けにさせてしまったと悔いています。彼がクリスチャンを腑抜けに

させた原因は何でしょうか。それは、キリシタン時代の迫害が止んだ日本で、新たに宣教師

を通してクリスチャンになった人々の求めたのは、「地上の幸せ」でした。キリシタン時代

は「信じることは=死」であったのが、クリスチャンの時代に入ると、信仰に命を懸けると

いう必要はなく、「自分を認めてもらう手段」となって行ったのです。
それは、信じること

が死であった時代では、この地上での幸せを求めることは不可能でした。しかし、迫害が

なくなり合法化されていくと、必然的に「信じることは、自分の幸せの追求」が目的となって

行ったのです。
ですから、死ぬことは大きな不幸であって、一番「神から見離された者の

不幸」と捉えるようになります。ですから、今日の福音宣教のように、「愛・愛・愛」

「あなたは愛されている」というテーマが、クリスチャン受けしているのです。ここに腑抜け

となったクリスチャンの霊的罠の真実が見えて来ます。今日の時代も、「信仰に命を懸けるこ

とはなく、自分を認めてもらおうとする手段」
となっていますので、自分の罪が見えてこな

のです。

 先日、ある大衆伝道者のメッセージを聞きました。そこに、「人間は罪人である」という

言葉は、一言も出て来ませんでした。迫害のないキリスト教は、この地上の幸せを与える

御利益宗教になってしまったのです。
私たちの心にも、今この観念が刷り込まれていない

でしょうか? 地上の幸せを求めている者が、「自分が罪100%の人間だ」と認めたら、

この地上で幸せを求めることが出来ません。だから、頭で分っても心で分らないのです。


しかし、この後、人類史上で一番大きなキリスト教迫害がやって来ます。その時、地上の

幸いを求め続けて来たクリスチャンは、ただ失望するだけです。クリスチャンの国籍は

天です。我々は、「地上の命はいつ終えてもいい」と考えなければ、天を目差す純粋なクリ

スチャンとはなれません。あなたは、まだ自分の罪100%を認めることができないのです

か? それは、地上の御利益を無意識に求め、「自分を認めてもらう」ことが信仰の目的

なっているからです。この霊的罠から目覚めて下さい
   



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