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2015年 NO.520



ご ま か 
罪を誤魔化す心


  
 「私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました」(詩51:5)

とあるように、クリスチャンであるなら、自分が罪人で、しかも生まれながらに100%罪人

であることを悟っているはずです。ロマ書には、「義人はいない。一人もいない」(ロマ3:

10)とありますし、パウロは「生まれながらに肉に属する者であって、罪の下に売り渡され

た者です。」(ロマ7:14)と言っています。その証拠として、私たちは、自分のしたい善

を行なわず、かえってしたくない悪を行なってしまうような、どうしようもない惨めな者です。

それなのに、叱られた時は、自分のわずかばかりの正しい動機に心を寄せて、素直に謝ること

の出来ない自分を持っています。それは、頭では、100%罪人であると分っていても、1%

の自分の正しさを認めてもらおうとする義が働くからです。ですから、自分の過ちを指摘され

た時、99%の自分の非があっても素直に謝れないのです。もちろん、逆もあります。

99%の自分の正しさがあり、わずか1%の自分の過ちを指摘されたら、私たちの心は強力に

頑なになって素直に謝ることはできません。しかし、100%の罪人なら、その1%の罪も

自分の責任です。
それなら当然責任を取って謝らなければなりません。しかし、生まれながら

の罪人は、自分の罪を認めたくないので、「たったの1%位の罪で謝れるか」と反発します。

しかし、イエス様は、100%罪人の人間を探して救うために来て下さったのです。

ですから、その1%の罪でも認めない人を救うわけには行きません。特にクリスチャンなら、

「生まれながらに100%罪人の怒りの器」である自分を知っているはずです。ならば、

99%の正しさがあっても、1%の罪があるなら、自分を義とする肉の心を砕いて、正直に

自分の心の中の1%の罪を認めて「あなたが宣告される時、あなたは正しく、さばかれる時、

あなたはきよくあられます」(詩51:4)と言うべきです。
なぜなら、ほとんどが自分の

過ちは1%だと思っていることが、正直になった時、その1%が100%の罪だと分るから

です。

 ですから、私たちは、まず自分を正しいとする義を1つでも2つでも砕いて、100%罪人

の自分を悟らされて行くべきです。聖霊の満たしのため、曇らされている心の正直さを取り

戻して、「生まれながらに母は、私を罪ある者(100%)としてみごもった」ことを認めて

行きましょう。
   



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