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2015年 NO.539


 
滅私奉公の心』


  ピリピ2章6節〜8節によると「キリストは、創造主の身分であるにもかかわらず創造主

のあり方を固守せず、かえって自らを空しくして(空にして)、しもべの姿を取り、人間の

かたちになりました。」とあります。キリストは人間を創ったお方ですから、「なんで、

被造物のしもべの姿を取らなきゃならんのだ。そんなの格好悪くて、嫌だ。」と自分の感情と

自分の思いを丸出しに主張していたら、「キリストは自らを低くして、死に至るまで、

しかも十字架の死にまで従順であられたのです。」ということが出来ませんでした。

むしろ「この杯を取り除けて下さい。死ぬのは嫌です」と、人間の罪の贖いを拒否し、

12軍団の御使いを遣わして、人間を滅ぼしていたことでしょう。すると、人間の贖いは

完成されず、全ての人間が、ノアの時代の人間と同じく、全人類が滅亡し、永遠の硫黄の

燃えている火の池(ゲヘナ)の中に落とされるだけの者となっていました。

ところが、キリストは、自らの思いを空にして、「父の御心のままを成さって下さい。」と

言われたので、私たちの罪の贖いが実現したのです。こんな救い主イエス様の犠牲のお陰で、

私たちは、罪人そのものであっても、キリストの血によって清められ、新しい罪のない体に

よって天のパラダイスに引き上げられるのです
。ならば、私たちこそが、自分の感情、思い、

考えを砕いて、下手に出て絶対主に心を開いていくべきではないでしょうか。

これが、「空っぽの器」です。主は、この空っぽの器を差し出した時、そこへ油を満たすと

約束されました。我々はいつまで、ちっぽけな「こだわり」を抱いて、自分の思い通りに

しようとするのでしょうか? 絶対主の御子でさえ、私たちのために御子としてのこだわり

を捨てて、私たちを罪から救って下さったのです。ならば、なおさらキリストの救いに

預った者
として、自分の全てを懸けて「滅私奉公」の心をもって主に仕えていくと心を

定めて行こうではありませんか

 


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