「誰でも新しく生まれなければ、絶対主の国を見ることは出来ません」(ヨハネ3:
3)とあります。この新しく生まれるとは、御霊から生まれることです。この御霊
によって生まれるためには、聖霊によって罪が示され、「自分のしたい事は行わず、
かえってしたくない悪を行ってしまう罪人だ」と悟ることです。そして、生まれながら
の罪人は、罪の責任を取らされて死ぬしかない事実を知るのです。ところが、そんな
罪人である私たちの罪の責任を負って、十字架で身代りの刑を受けて下さったイエス・
キリストの贖いがありますので、その贖いを聖霊によって受け取った者は、誰でも
新しく生まれるのです。しかし、「自分は罪人と言われる程の罪を犯していない」
という者のためには、キリストの救いはありません。なぜなら、「キリスト・イエスは、
罪人を救うためにこの世に来て下さった」(第Tテモテ1:15)お方だからです。
ですから、クリスチャンであっても御霊によって私たちの心の根にある罪を自覚させ
られていない者は、イエス様と結び付くことはできません。罪人を救うために世に来て
下さったイエス様は、罪人であることを認めていない者を救う必要はありませんから。
ですから、単なる口先で信じている振りをしても意味がありません。聖書には「御子を
信じる者は、永遠の命を持つ」(ヨハネ3:16)とありますので、「イエス様を信じ
ます」と言えば、誰でも救われるような気がします。しかし、聖書のもう一面には、
「イエス様を信じます」と言ったユダヤ人や、イエス様の弟子となった人々に対して、
イエス様は「あなた方の父は悪魔である」と言われました。(ヨハネ8:31、8:44)
ですから、信じた者が必ず「永遠の御国に入れられる」とは限らないのです。
すると、イエス様と結び付く信仰告白とは、どういうものでしょうか? それは、
罪人のために死んで下さった救い主の前に、自分が言い逃れの出来ない生まれながらの
罪人であることを自覚した信仰告白者です。そして、一生涯絶対主の前に下手に出て、
罪の責任を一生背負っていく、へり下りの心を持った者です。キリストの救いを利用
して、罪人がのし上がる(ルシファーの罪)ことは、決して赦されない行為です。
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