マリヤは、御使いの申し出に対し「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に
成りますように」と、処女がみごもって男の子を産むことを受け入れました。この御使い
の申し出は、マリヤが祈り願っていたことではありません。むしろ、彼女にとって、
絶対主の一方的な意向が突然伝えられたことでした。ですから、マリヤにとって、
この世的には、メリットはなく、むしろ、人から厳しい批難を受けるばかりか、
個人的には、大きなダメージを受け、場合によっては石打ちの刑にされることもあり
得ることでした。
しかし、彼女は、自分にとって不利になる要素よりも「聖霊が臨み、全能主の御力が
覆うこと」という絶対主の言葉に、「私は主のはしためですから、お言葉の通り成り
ますように」と、心を開いて受け留めたのです。普通の女性なら、婚約相手もおり、
不名誉な結果が生じる事柄ですから、迷惑なこととして退けていたに違いありません。
ですから、絶対主は、世の中を見渡して、自分の申し出を受け入れてくれる献心的な女性を
探しておられたのです。なぜなら、救い主を世に送るためには、処女から生まれ出さな
ければならなかったからです。この実現のため、絶対主は、心を献げてくれる女性を探して
おられたのです。心を献げるとは、「自分にとって困ります。迷惑です」と拒否したくなる
ことさえも、心砕いて「全能主の御力によって成されること」ということに、喜びを覚えて、
受け入れる砕かれた空っぽの器(心)を持った者のことです。ですから、絶対主は、マリヤを
適任と思われたようです。なぜなら、彼女の主を信じる心の中には、たとえ泥を被ることが
あっても、損得で考えず、「主のお言葉でしたら、受け入れます」というはしための心を
持っていたからです。彼女は、幼い頃から、両親の訓練によって柔らかい砕かれた心を
持っていたのでしょう。ですから、絶対主は「マリヤなら受け入れてくれるだろー」と
思われ、御使いを遣わされたのです。今、私たちも、この「マリヤの献心」の心が必要です。
絶対主の救済計画の集大成が実現されようとしている今日、主は長い間の訓練を通して、
自分の世的なメリットよりも、絶対主の為に「嫌だ、出来ない」という心の中の思いを
退けて空っぽにし、主に心を献げて「従います。私は主のはした目です」と答えて来る者を
求めておられるからです。今こそ、私たちも心を献げる「マリヤの献心」を表わそうでは
ありませんか。 。
|
|
|
|