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2015年 NO.510




主の救いに留まるとは?


  救いとは「聖霊によらなければ、誰も『イエスは主です』と言うことはできません。」

(Tコリント12:3)とあります。即ち、救いは自分の頭でいくら信じたいと思っても、

心が動かなければ信じることは出来ません
。すなわち、心が付いていかなければ信じること

が出来ないのです。ということは、人は大事な決断に関しては、自分の心に聞いて決断し

行動しようとします。頭で考え出した決断では、それを続けていくことが出来ないと分って

いるからです。ですから、全ての大切な決断は、心の伴ったものでないと意味がありません。

し、自分の心に恐れや臆病な心が入っているなら、心の決断はできません。それは頭だけ

の願望になります。だから、自分の心の中に何が入っているかで決まります。

 「主に従って行きたい」という思いは、クリスチャンなら誰でも持ちます。しかし、

それを心で決めれば、世の楽しみや、自分の都合を優先して行くことが出来ないと感じるので、

なかなか心で決断が出来ません。「人は二人の主人に兼ね仕えることができない」

(マタイ6:24)からです。すると、どちらかを砕かなければなりません。「世と富を

追求していくか? それとも絶対主の国と義を追求していくのか」二つに一つです。

この決断は自分の心で決めなければなりません。
しかし、多くの場合、相反する二つの心の

板挟みになっている場合が多いので、両方を使い分けて、自分の心を誤魔化して行こうと

します。しかし、主の前に誤魔化しは通用しませんので、どちらかの思いを砕く決断を

しなければ、前に進むことは出来ません。
どこまで行っても、自分の決断で決めなければ

いけません。そこで、もし聖霊の助けがあって、決断の出来ない臆病な私たちに

「主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる。」(詩37:5)という声の後押しがあったら

どうでしょう。
「分った。もう決める。『主に従おう』」という決断も可能になります。

私たちが救い主を信じる時も、そうした後押しがありました。ですから、信じ続けて行く

クリスチャンにも、このような後押しはあります。しかし、その声を聞くかどうかは、

私たち次第です。主の救いに留まり、従い続けていく生涯を通したいなら、この御霊の

後押しに従うことです。そして、肉の心はきっぱりと離れて砕くのです。
この信仰の秘訣を

身に着けて行きましょう。


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