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 2015年5月17日    

『永遠の求道者』




ローマ人への手紙4:1~8

(起)「私たちは永遠の求道者である事を踏まえて、学んだことを心に結びつけていくために、

一生懸命に自分のものとして行く
」ということについて、学んでいきたいと思います。

(承) さて、ローマ人への手紙というのは、当然ローマ人に対して書かれている内容だと

思いがちですが、実は、11章12節までは、ローマに在住しているユダヤ人に対してパウロさん

は語っています。実際にローマの異邦人に対して語り始めるのは、11章13節あたりからです

ので、そのことを踏まえて、まずは2章から見ていきたいと思います。

 2章17節を見ると、「自らユダヤ人と称し、律法により頼み、絶対主を誇り~」とあります

ように、ユダヤ人というのは、「自分たちは、絶対主から与えられた律法を学び、絶対主をよく

知っているのだ」という誇りを持っていました。しかし、パウロさんは28節で、「外見上の

ユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の割礼が割礼ではない。かえって、人目に隠れた

ユダヤ人がユダヤ人であり、文字によらず御霊による心の割礼こそ、本当の割礼です」と言って

います。これはどういう意味かというと、「『律法を学び、絶対主を知っているから、自分は

そのように生きている』というのではなく、
いくら律法を知っていても、それが心に結びつけら

れていなければ
、自分のものになっておらず、何の意味もない」ということです。

(転) では、これはユダヤ人だけに当てはまることなのでしょうか。そうではありません。

実は、私たちにも同じことが言えるのです。私たちは、毎週メッセージを聞いていますが、

メッセージを聞いて、それだけで分ったような気持ちになっていますが、
大事なことは、その

メッセージが、自分の心に結びつけられたかどうかです
私たちは、いつもメッセージを聞いて

いる時は、「そのとおりだ」と思いながら聞いていますので、分かったような気でいます。

ところが、集会が終わった瞬間に、その聞いたことが自分の中から消えてなくなっています。

それは何故でしょうか。
自分の心に結びつけられ、自分のものとなった訳ではないからです

自分のものとなっていなければ、そのことが、実際生活の中で生かされてきませんから、ただ

聞いただけのこととなり、何の役にも立ちません。ですから、今私たちに必要なのは、「本当に

分りたい。これが本当に分らなかったら、自分はやっていけない」という本気の気持ちになり、

理解できるまで追求していく、その追求心が必要です。ただ聞いているだけでは、絶対に自分の

ものとすることはできません。パウロさんは、このロマ書で、絶対主の真理が人々に分るように

一生懸命語り、解き明かしています。それは、パウロさん自身が、「これはどういうことだろう

か?」と、分かるまで考え、一生懸命理解しようとしていたからです。そして、その考える中で、

「絶対主の前に、義人は一人もいない」ということが分かり、「人は、律法の行いによっては義

と認められないのだから、この肉は一つも使いものにならない」ということが分ったのです。

彼は、それが分って初めて、肉とは全く正反対の、霊の世界に心を向けるようになりました。

そして、「自分の内に御霊さまが住まわれたことによって、確かにその声は聞こえるし、御霊に

よる霊的な思いも働く。じゃあ、その霊的な思いの中で生きていくためには、どうしたら良いの

だろうか?」と、再び考え、霊的な世界で歩む考えを、8章から解き明かしました。

(結) ですから、私たちもパウロさんと同じように、自分で一生懸命考えて答えを掴み、心に

結びつけなければなりません
「メッセージを聞いて、自分は分った。」と思ったら大間違い

です。その時には、ただ頭だけのヒントを得ただけに過ぎません。大事なことは、「自分の心の

中に教えて下さい」とへり下って一生懸命祈り、それを知っている人の所に行って必死になって

学び、また、一生懸命聖書を読んでいくことです。そして、一つ一つ、自分自身の心に結びつけて

行くのです。

 私たちは40年間、「空っぽの器に油が満たされる」と、メッセージを学び続けてきたにも

関わらず、自分の心に結びつきませんでした。それは、このことを怠って来たからです。

ですから、今日から本気になって自分のものにするために求道していくのです。
聞くだけでは

絶対に自分の信仰の確信にはなりません。答えは自分の心で掴むものです。それを掴むまで諦めて

はいけません。分るまで追い求め、そして、自分の心の中に入れていくのです
。この本気の求道心

を持って、学んで行って下さい。私たちは、死ぬまで霊的な真理を求道していくのであり、天に

行っても求道です。永遠に、主の前に聞き続け、学び続けていく者です。どうか、永遠の求道者

として、主に求め続けていきましょう



 


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