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 2015年5月10日    


『肉を見切って、霊の方に心を向ける』


マルコの福音書15:1~5

(起)「肉を見切って、霊の方に心を向ける」ということについて学んでいきたいと思います。

(承) さて、ここでピラトはイエス様に、「お前は何をやったのか。死刑にあたるほどのことを

本当にしたのか」と、問い掛けながら、いろいろな質問しています。すると、祭司長たちは、

「イエスを生かしておくことは出来ない」と思い、激しくピラトに訴え、イエス様にとっては不利

な証言ばかり並べ立てました。これに対して、イエス様が何も言われなければ、ただ黙認すること

になりますから、彼らの訴えに従ってイエス様は処刑されてしまいます。

ところが、イエス様はここでは何もお答えにならず、弁解もされませんでした。ただ、「お前は、

ユダヤ人の王なのか」と尋ねられた時に「そのとおりです」とお答えになっただけで、それ以外は

何一つお答えにならなかったのです。これにはピラトも驚いてしまいました。


(転) では、何故イエス様は、何もお答えにならなかったのでしょうか。

それは、イエス様は、もうご自分の肉を明け渡しておられたからです。言葉を換えますと、「ご自分

の肉を見切っておられた」からです。イエス様は、三度のゲッセマネの祈りの戦いで、肉の方に

ご自分の意識を向けることをやめ、「絶対主の御心は、この盃を飲み干すことだ」と心を定められ、

「もうこれでいい」とお決めになったからです。だから、これから望む十字架の苦しみに、耐えられ

るとか耐えられないとか、そういう問題ではなく、肉に関わることについての一切を受け入れられ

たのです。確かにイエス様は、ゲッセマネの祈りの時に、ご自身が持っておられた肉の怯えを

抱かれました。そして、「どうか、この杯をわたしから取り除けて下さい」と祈られています。

しかし、三度祈られた後には、「立ちなさい。さあ行こう」と言って、これまでの肉の怯えや

苦しみから立ち上がられました。その立ち上がられたイエス様の心の決断が、今日お読みした

15:5に表現されています。どんなに不利な証言を受けてもびくともせず、そこには少しの怯え

も恐れもありませんでした。実は、このイエス様の姿こそが、クリスチャンの生き方の見本です。

すなわち、「
自分自身の肉を見切った」ことによって初めて、絶対主の方に意識を定めて行く

生き方です
私たちは、自分の中から肉の思いを取り去ることは絶対に出来ません。ですから、

肉に捕われてしまうのは仕方がないと言ってもいいくらいです。逆に、「あれもダメ、これもダメ」

と、なんでもかんでも否定して、肉の思いを押さえつけるようなことをしていたら、必ず肉は

反逆し、そのうち自分自身が崩壊します。だから、肉とはほどほどに、上手に付き合っていかな

ければなりません。しかし、イザ霊的な思いに立たなければならない時には、その瞬間に「肉を

見切る」心が必要です。肉と霊は全く別の次元のものです。ですから、私たちが霊的な事柄に心を

向けていく時には、その中にほんの少しでも肉的な思いを入れてはいけないのです。「どうしたら

いいかな。怒られたら嫌だな。出来なかったらどうしよう」という肉の思いに心を向けていたら、

霊の判断は絶対に出来ません。私たちの肉というのは100%罪であって、改善することも新しく

することも出来ませんから、肉から良きものは一つも出てきません。ですから、
肉は完璧に見切る

だけです。
私たちは、自分の肉には全く価値がないということを、はっきりと自覚しておくべきで

す。そうすれば、いざとなった時、その瞬間に肉を見切り、パッと霊の方に向かうことが出来る

でしょう。


(結) ジョージ・ミュラーさんは、完璧に自分の肉から離れ、「主がして下さるのだ」という、

霊的な思いの方に心を向けて行きました。ミュラーさんは、肉の思いを全部見切り、自分で意識

して退けたのです。ですから、私たちも意識しなければ、肉を退けることはできません。肉の思い

は、非常に強く、反発をするものです。そのためには、祈りをもって「肉を見切るぞ。見切るぞ」

と、自分で意識することです。そして、見切った後には、自然に、その反対の方を考え始めます

から、
無意識に霊を意識するようになります。イエス様は、三回の祈りを通して見切られました。

そして、見切ったことによって、自分の心がスカッと定まり、「肉がどういう目に遭おうが、

もう、そのことはどうでもいい」と、肉から離れた思いを持たれたのです。こうして、イエス様は、

肉の思いから離れる見本を私たちに見せて下さいました。また、このやり方が正しいということを

教えて下さいました。心をガラッと変えることは、決して偽善ではありません。「やせ我慢でもあり

ません。それは正しいことです。
私たちの肉の中には一つも良いものがないのですから、見切るだけ

のことです。
そして、霊の方に自分の心を向けるのです。どうか、このイエス様と同じ心の切り替え

をして、霊的な判断の中で歩んでいこうではありませんか。


 


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