(起)「クリスチャンの中にある肉と御霊の区別をし、御霊によって生きる」ということについて、
学んでいきたいと思います。
(承) さて、今日お読みしたところで、イエス様は弟子たちに対して、「あなた方は、わたしを
誰だと言いますか」と聞かれました。その時、真っ先にペテロが「あなたこそキリストです」と
答えています。このキリストというのは、ヘブル語では「メシヤ」と言い、「旧約聖書の中で預言
されている救い主、ユダヤ人の解放者、国を再興してくださる方」という意味です。ところが、
イエス様は、ペテロのその告白を聞いた後で、「わたしはこれから多くの苦しみを受け、人々から
拒絶され、殺されます」と言われました。これを聞いたペテロはイエス様を諫め始め、「メシヤに
そんなことが起るはずがありません。メシヤが死んでしまったら、どうやって国を解放するの
ですか?そんなことがあってはなりません」という思いを表しました。このペテロの考え方は、
流れとしてはおかしくありません。しかし、これは「人に心を向けた正論」であって、「絶対主に
心を向けた正論」ではありませんでした。なぜなら、旧約聖書の中には、「メシヤ」というお方に
ついては、はっきりと預言があり、「メシヤは、私たちのために苦しみを受け、傷を負って殺され、
贖い主となられる」(イザヤ53:4~5)とあります。しかし、ペテロは律法学者ではなかった
ので、それだけの知識を持ってはいませんでした。ですから、「救い主キリスト、解放者である
なら、死ぬわけがない。死んだら解放者になれないではないか。そのためなら、自分も命をかけて、
イエス様をお守りします。」と考えてイエス様を諫めたのです。だから、「モーセがエジプトの
苦役の中から解放したように、自分たちもローマ帝国の圧政から解放されるのだ。メシヤは、自分
たちの国を再興して下さる方なのだ」という期待感だけに心を向けていました。この考え方はペテロ
にとって正論であり、イエス様を諫める方向に向かった原因です。しかし実は、その方向に向かわ
せようと後押しするのが、サタンの働きです。だから、イエス様は「サタンよ。引き下がれ」と
言われ、「あなたは絶対主の方に心を向けず、人の方に心を向けている」と言われたのです。
そして、その後イエス様は、「誰でも、わたしについて来たいと思うなら、自分を徹底的に否定
して、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」と言われました。これを分りやすく言い
換えると、「肉の考えを全部否定して御霊によって考え、自分の命を懸けて従って来なさい。」
ということでした。
(転) では、自分自身の肉の考えを否定するには、私たちはどうしたら良いのでしょうか。
多くのクリスチャンの場合、肉と御霊がゴチャ混ぜになっていて、何が肉の考えで、何が御霊の
考えなのか分らないまま、信仰を妨げる肉に敗北してしまうのが、現実です。なぜなら、その肉の
性質は、生まれながらの自分自身と一体化しているからです。ですから、まず私たちがしなければ
ならないことは、先祖代々から受け継ぎ、自分自身と一体化されている肉の流れを断ち切り、肉と
御霊の区別をすることです。しかし、その区別が出来ると、肉による古い自分は、無くなって
しまうというわけではありませんが、「肉に対して、自分は第三者になります。」すると、その
古い人を客観的に見ることが出来るようになります。そしてそれによって、自分の肉を嫌い、
徹底的に否定して退けていくことが出来るのです。私たちには、生涯この戦いが必要です。そして、
この事を理解した上で、ロマ書6:6を見ると、その意味がよく分って来ると思います。
「私たちの古い人は、キリストと共に十字架につけられました」とあります。これはアオリスト形
で書かれていますから、「私たちの古い人は死んだ」というのは、現在の自分自身の状況如何に
関わらず、過去にあって行われた真実な事柄であると飲み込めてきます。また、ロマ書8:12を
見ると、「私たちは肉にあって生きていても、肉の性質に従って生きる義務を負っていません」と
あります。ですから、私たちは肉にあってこの地上で生きていますが、その自分の肉に対して第三者
となって、客観的に見て良いのです。それは、偽善的なことではありません。むしろ、それが出来
て、初めて私たちは肉の性質を自分の意志で否定し、御霊によって歩んでいくことが出来るのです。
(結) ですから、今回お読みしたマルコ8:32節のペテロの発言は、肉と御霊の区別が出来て
おらず、人(肉)の方に心を向けることしか出来なかった事で、イエス様のお叱りがあったのです。
それは私たちも同じです。今まで、御霊の方に心を向けたくても、向けられない中にありました。
ところが、肉と御霊を区別することによって、その肉を嫌って退け、御霊の方に心を向けて生きて
いくことが出来るようにされるのです。ですから、先祖から受け継いでいる肉の流れ(アダムから
の流れ)を、どんどん断ち切っていくと良いでしょう。もし自分で出来なかったら、祈ってもらう
ことが大切です。これからは、自分の信仰の妨げになる肉から、どんどん離れていきましょう。
そして、御霊にある新しい人の中で生きていく道に向かって行くのです。これが私たちクリスチャン
の生き方です。
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