ヤコブの手紙4:1~17
(起)ヤコブ書から「へりくだり」ということについて学んでいきたいと思います。
(承) さて、6節を見ると、「絶対主は高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みを賜う。」
とあり、また10節には、「主の御前にへりくだれ。そうすれば、主は、あなた方を高くして
下さる。」とあります。では、なぜ私たちはこの「へりくだり」を学ぶ必要があるのでしょうか。
それは、人は御子と交わるために創造されたにも関わらず、サタンに誘惑されて傲慢になり、
御子から遠い存在になってしまった為です。そこで、もう一度御子との交わりの中に回復して頂く
ために、まず私たちが被造物としてへりくだりを学び、同時に御子によって、私たちの罪の贖いを
完成して頂く必要がありました。
(転) では、私たちがへりくだりを学ぶためには、どのようにして行けばいいのでしょうか?
その前に、まずサタンがどのように堕落して行ったのか見ていきましょう。エゼキエル書28:12
を見ると、「・・・全きものの典型であり、知恵にみち、美の極みであった。」とあります。
しかし、彼はその自分の美しさに高ぶり、「絶対主の星々のはるか上に自分の王座を上げ、いと高き
方のようになろう」と考えたのです。(イザヤ14:13~14)そこで彼は堕落し、ルシファー
として人間を誘惑するようになりました。そして、御子の交わりのために造った人間をも罪に陥れて、
罪の中に閉じ込めてしまったのです。ところが、人間は自分の罪の責任を認めようとせずエバの
所為にしたり、サタンの所為にしたりして、自分の罪の責任から逃れようとしました。その結果、
ルシファーと同じ傲慢な虚栄心を持つ罪人になってしまいました。この虚栄心は、罪人が罪人で
あることを認めようとしない偽善の心です。常に上辺を飾り、自分自身を実際以上のものに見せ
かけようとする虚栄です。それは、罪を認めようとしない心から出てくるものです。ですから、
生まれながらの私たちも罪を罪として認めようとしない虚栄心の塊で、アダム以来、すべての人間
が受け継いでいる性質です。このままでは、ルシファーが辿った悲惨な道を、人間も同じように
通って行くことになります。そして、最後は底なしの穴の中に投げ込まれてしまうのです。しかし、
人間を裁くことは、絶対主が人間を造られた本来の目的ではありませんから、そのまま放っておく
ことはなさいませんでした。絶対主は、人間を罪の中に閉じ込めることによって、「傲慢な思いを
持つことがどれだけ恐ろしいことか」、また、「自分を実質以上の者に見せかけようとする虚栄心は、
人間をダメにする」ということを教え、へりくだりなさいと語っておられるのです。そこで、
人がへりくだるために、ヤコブ4:9を見ると、「嘆き悲しめ、泣け。あなた方の笑いを悲しみに、
喜びを憂いに変えよ。」とあるのです。これは、どういう意味で言われているかと言いますと、
「自分の過去の失敗や、恥や、汚点を『忘れ去ってしまいたい』と思うのではなく、むしろ自分の罪
は、忘れ去ってはいけない」ということです。私たちは、自分にとって嫌なことは忘れ、記憶から
消し去ろうとします。そして、消し去るために「弱いままの自分では嫌だ。自分は尊敬されたい。
強くなりたい」という虚栄心の塊になるのです。ですから、自分の罪を棚上げせずに、「笑いを
悲しみに、喜びを憂いに変えよ」と言われているのです。なぜなら、自分の罪を悔いる心を持って
いなければ、へりくだることが出来ないからです。私たちは、自分の思い上がった心から失敗した
経験がたくさんあります。その失敗によってどれだけ恥をかいたことでしょう。そのことを、決して
忘れ去ってはいけません。それを棚上げしないのは、罪人が罪人であることを自覚して丁度だから
です。もし、自分の過去の失敗や恥を完全に忘れ去ってしまったら、罪人が義人になったと錯覚する
ようになり、傲慢な人間に成り果てます。そして恐ろしい結果を招くことになります。ですから、
そのようなことにならないために、罪人であるという現実を絶対に忘れてはいけないのです。その
悔いし心を持って天に行った時に、初めて私たちはへりくだって絶対主を礼拝し、へりくだりの心を
持って、御子との交わりの中に入れられるのではないでしょうか?だから、もし消し去るなら、
虚栄心を消し去るべきです。そして、「自分は罪人だから、自分が正しいなんて言えない。
絶対主にへりくだって聞いていこう。イエス様に従っていこう」という生き方を、この地上にあって
学び、永遠の交わりの中に入れていただくのです。これが、クリスチャンの地上での生き方です。
私たちは、最低限ここに立たなければなりません。絶対主はこのことを教えるために私たちに語り
かけ、時には私たちの虚栄心の故に大恥をかくような経験をさせられます。そして、「虚栄心を
持つと、こんなに惨めな世界に入っていくのだ」と教えて下さるのです。私たちは、このことを
教えられたなら、「こんな罪人が、虚栄心に走るのは止めよう。純粋な気持ちで従っていこう」と、
自分の意志で変えていくべきです。
(結) 私たちは100%罪人の人間ですから、その罪人が考えることは全部間違っています。
ですから、自分の心を砕いて当たり前なのです。それをしたら、私たちの心は明るくなります。
そして、光が差し込んでくるでしょう。力も与えられて来るでしょう。もし、虚栄心に毒されて
いるのなら、そこに働く悪魔に立ち向かい、そこから離れようではありませんか。「そうすれば、
悪魔はあなた方から逃げ去ります。」そして、主の御前にへりくだりの心を持つのです。
「そうすれば、主は、あなた方を高くして下さる」のですから。 |
|
|
|