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2015年12月13日


一人一人が主の働きに用いられる
自分のイメージを明確に持つ



エペソ人への手紙1:3~19




(起)「一人一人が主の働きに用いられる自分のイメージを明確に持つ」ということについて、

学んでいきたいと思います。


(承) さて、10節を見ると、「時が満ちた時に成就する絶対主の救済計画」とありますが、

その「絶対主の救済計画」とは、一体どういうものなのでしょうか?それをまず考えていきたい

と思います。第一に、絶対主の救済計画は、アダムとエバの創造から始まっています。彼らは

イエス様の手によって創られ、創られた時には完全な者でした。ところが、「善悪を知る木の実

を取って食べてはならない」という禁止事項を破ったことにより、彼らは罪の中に閉じ込められて

しまったのです。すなわち、「してはいけないと分かっているのに、それをやってしまった」

ことによって、絶対主に逆らう罪の根が彼らの中に入ったのです。そして、その結果として

アダムとエバの子孫である私たちは、その罪の根を受け継いでいます。だから、私たちは罪の

根の表れとして、罪過を犯すのです。これが、罪の中に閉じ込められた人間の現実であり、

罪過の中にある私たちは、当然(ゲヘナ)の裁きの中に置かれているのです。

ところが、4節~6節を見ると、「憐れみ豊かな絶対主は、罪過の中で死んでいた私たちを、

キリストと共に生かし、共に甦らせ、共に天の所に座らせて下さいました」とあります。

絶対主は、イエス様が私たちの身代わりとなって死んでくださったことによって、私たちを罪から

贖い、「もう、わたしは、お前たちを罪人として見ない」と言って下さるのです。


(転) しかしながら、その救いを受け取ったからといって、私たちは、「もう罪過を犯さない

人間になった」というわけではありません。確かに聖書には、「御前に聖く、傷のない者となる」

(エペソ1:4)と書いてありますが、それを現実に味わうのは、私たちが天に引き上げられる

時です。ですから、この地上にいる間の私たちは、キリストの救いに預かっているとしても、

「生まれながらの罪人」であるという事実には変わりありません。それなのに、教会に行って

いると言うだけで、クリスチャンは、本当に見栄っ張りで、自分を良く見せるために表面を

着飾り、いかにも自分は正しい者であるかのように見せかけていくのです。絶対主は、そういう

者を一番嫌われます。なぜなら絶対主は、私たちが生まれながらに罪過の中に死んでいた者で、

どうにもならない罪人であるが故に、ご自分の御子によって、人の罪の贖いをして下さったの

です。それは、贖われただけで、罪人の人間が変わったわけではありません。それなのに、

「自分は御子の救いに預りました。だから、以前のような罪人じゃありません」と言って、

「生まれながらに罪人であった」という事実から離れて歩もうとするのです。そういう者を絶対主

が見たならば、「何故、わずかばかりの自分の行いを誇り、罪人でないが如くに装うのだ。

お前は確かに御子の贖いを受け取ったかもしれないが、お前の現実は罪人のままではないか?」

と言われます。確かに、私たちは「元々、罪過の中にいた真っ黒な人間です。自分はどうにも

ならない者です。何かやろうと思っても、自分の中からは何も出てきません」と正直に認める者

こそ罪人の正しい姿勢です。その者には、絶対主は、「そこから始めなさい」と言ってください

ます。なぜなら、「その真っ黒な自分が現実なのだから、その自分を認め、へりくだってその所

から始めなさい」と言って下さるのです。すなわち、「お前は真っ黒な罪人で、どうにもならない

人間だから、ダメだ」とは言われていないのです。それが分かったら、「自分を何とか良く見せ

よう」という思いは吹き飛んでいくはずです。罪を犯したならば当然怒られますが、それは、


元々罪人であるのですから、怒られるのが恥だとは思わず、ただ罪を犯した事実を受け入れ

「すみません」と素直に謝れば良いのです
そして、本当に何もないからこそ、へりくだって

絶対主に助けを求め、イエス様を信じ仰いで、また新たな心で行って行くのです。
絶対主は、

その心を持った者を、御国へ引き上げて下さいます。その時、私たちの心から、罪の根が抜かれ

、体も新しくされて、
聖く、傷のない者とされていくのです


(結) これが絶対主の救済計画であり、絶対主はこの計画によって、世界を集大成しようと

考えておられます。しかも、その集大成の働きに、私たちを用いると言って下さるのです。

ですから、私たちがその集大成の働きに用いて頂くためには、まず私たちがこの救いの原点に

立たなければなりません。
私たちは生まれながらに罪人ですが、「その罪人である自分を変える

ところから始めなさい」と言われているのではありません。「罪人であるという現実を受け止め、

そこから始めなさい」と言われているのです。
ですから、この原点に立って、働きを始めさせて

頂きましょう。そして、絶対主の集大成の働きに、自分はどのように用いられたいか、その

イメージを具体的に持ちましょう。
そのイメージは、御霊様との会話の中で与えられるも

のです。どうか、一人一人が主の働きに用いられる自分のイメージを明確に持ち、その心を

持って、一つでも二つでも、絶対主の御心に適ったことをさせて頂こうではありませんか。


 


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