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2014年 NO.507




悔いし砕かれた心』


 

     
 この悔いし砕かれた心は、罪人が罪であるが故に当然の心です。ダビデさんが絶対主の

手の中にあったのは、罪を犯さなかったからではありません。彼は、生涯に渡って

「砕かれた悔いし心」を表わしたからです。たとえ、命を懸け、人生を懸け、貧しい中、

苦しい中、厳しい中に飛び込み、殉教したとしても「砕かれた心」がなければ絶対主の意に

反することになります。「砕かれた心」こそ絶対主の意に適うものです。この砕かれた心を

自分の心とするには、砕かれた心の感受性が必要です。しかし、この感受性は誰もが初め

から持っている性質ではありません。ですから、学んで行く必要があります。

その感性は、「理性と意志」によって呼び起こされて行きます。
ですから、まずその心を

体験している者のアドバイスをそのまましてみることです。例えば、自分は出来ないと思って

いることでも、それをしなさいと言われたら、その通りしてみることです。そこには、

体験したいと思う意志で習って行こうとする理性の働きが必要です。
出来ないと逃げていては

体験することはできません。人は、砕かれた心とは正反対の感性に頼って、頑なに自分の

やり方に固執するからです。
まず、自分の強い意志と理性(真面目さ)と心の柔らかさを

もって言われた通りして行きましょう。それを続けていく時、「砕かれた心」の感性が分って

来ますから。そして、主の十字架を仰ぐ、「砕かれた心」を身に付けて行きましょう。




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