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 2014年4月20日 





『全力を注いで主のわざに励む』



マルコ5:3543



(起)「復活にあずかる者が、全力を注いで主のわざに励む」生き方について、学んでいきたいと

思います。


(承) さて、ここを読んで分かることは、絶対主の御子であるイエス様と、人間であるヤイロの

気持ちに大きな違いがあることです。イエス様は創造主であり、すべてを知り尽くしておられます

から、人間のどんな病も癒すことができます。ですから、イエス様の中では、「分かりました。

一緒に行きましょう。」とヤイロに言われた段階で、この娘はもう癒されているのです。ところが

ヤイロは、「娘は今にも息絶えてしまうような中にあるから、早く来てほしい。」と、焦っています。

それは、「死んでしまったら終わりだ。」というこの世の中の常識が、ヤイロの中にもあったから

です。


(転) では、昔のキリシタンの方たちはどうだったのか、少し考えてみたいと思います。

彼らは、「死んだら終わり」というこの世の常識に立たず、「たとえ死んでも、自分たちは

パライソ(天国)だ。」と言って、迫害があっても抵抗せず、文句を一つも言わずに、命を

捨てていきました。しかし、それは彼らにとってイチかバチかの賭けでした。なぜなら、彼らは

聖書を手にすることができず、ただ宣教師から福音を聞いたことを心に留めていただけで、

「パライソがある。」というはっきりとした保証はどこにもなかったのです。「もし、人間的な

見込みで復活すると考えて、エペソで獣と戦ったのなら、それがなんの役に立つのでしょうか。」

(Tコリント15:32)とパウロが言っているように、もし、あんな辛い拷問にあって命を

捨てたにもかかわらず、もし天国がなかったら、「地上で苦しんだあれは何だったの?」となって

しまいます。しかし、それでも彼らは信じていきました。宣教師から聞いた言葉だけに心を寄せて、

ただ静かに拷問を受け入れ、殉教していったということは、本当にすごいことだと思います。

では、私たちはどうでしょうか?私たちは、このキリシタンの方たちとは全然違います。

私達には、イエス様の復活を記録されている聖書があります。Tコリント15:4〜6を見ると、

イエス様が復活されたことについて証明されていますが、この記録が今日まで残っているという

ことは、「それは嘘ではない。」と確認した者たちが、手書きで残していったからです。

もしこれが嘘だったら、今日まで残されることはなかったでしょう。私たちは、「イエスキリスト

の復活は、動かすことのできない事実である。」ことを、聖書に基づいて科学的に検証することが

できます。ですから、私たちは、人間的な見込みで信じているのではありません。イエス様が

復活されたのなら、私たちもその復活にあずかれるという確信に立てるのです。15:41〜43

にあるように、私たちは、今は死ぬ体をもっていますが、復活する時には、永遠の御国で生きて

いくことのできる、新しい体をいただくことができます。イエス様を信じて救われた者は

「死んで終わり」ではなく、復活し、罪から解放された身体に変えられるという希望があるのです。

こうして、私たちが、このような天のパラダイスに行ける恵みにあずかれる根拠は、イエス様の

復活の事実にあります。この科学的弁証ができる時代に生きている私達は、キリシタンの方たちの

時代の人々とは大きく違う、確信に基づく信仰の部分です。


(結) だからこそ、
「私たちは堅く立って動かされず、全力を注いで主のわざに励んで行く」

のです。(Tコリント15:58) それは、偉そうに自分自身の努力を表すことではなく、

砕かれた心によって、イエス様を信じて受け入れた自分の意志に基づいていますから、クリスチャン

生活をこれまでの生き方から、すべてリセットし、
砕かれた心を土台にして主に従う信仰を積み

上げて行く
のです。それは、自分ができないと思ったことでも、主に頼って大胆にしていくこと

です。もともと自分自身は罪人で何もないのですから、遜って、どんなことにも主に頼って挑戦

していけます。「できません。」と言うものは何もなく、全力で主のわざに励んで行けばいい

のです。また、58節の最後に、「あなた方の労苦が、主にあって無駄にならないことを知って

いるのですから。」とあるように、復活にあずかる者たちにとって、地上での努力は絶対に無駄

にはなりません。それが絶対主のためであり、
イエス様のためであるならば、その努力したことは

全て天に繋がるからです。
ですから、私たちはこの地上で、イエス様に心を向けて努力をして

いきましょう。
イエス様の心にあるものを、全力で実現していこうではありませんか。 

                                      

  
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