教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


 2014年2月2日 





『私たちとイエス様の心の一致』





ルカ223946




(起)イエス様のゲッセマネの祈りを通して、私たちとイエス様の心の一致ということについて

学んでいきたいと思います。


(承) さて、42節にある、「父よ、御心ならば、どうぞこの杯をわたしから取り除けて下さい」

と言われたイエス様のお言葉があります。まずここを読んで分かることは、イエス様も、私たちと

同じような肉の弱さを持っておられたということです。また、その後に「イエスは苦しみもだえて、

ますます切に祈られた。その汗は、血のしずくのように地に落ちた」(44節)というところを読むと、

相当苦しみもだえておられるイエス様の姿がよく分かります。

しかも、イエス様はこの祈りを一度だけでなく三度もされました。そこまでの心の葛藤が

イエス様にはあったということです。そんな中で、イエス様はどのようにしてその苦しみを最後

まで耐えていかれたのでしょうか。それは、「御使いが天から現れてイエスを力づけた。」と

あるように(43節)、御使いによる励ましがあったのです。イエス様は絶対主の御子ですから、

イエス様を力づけられるのは、本来ならば絶対主です。しかし、絶対主というお方は、ご自分の

考えを最後まで全うされます。こちらの事情や都合では動かされません。ですから、ここで

イエス様を力づけることができるのは、御使いしかいませんでした。イエス様にとって御使い

は被造物ですが、イエス様が被造物の姿を取られましたので、その被造物である御使いの励ましが、

イエス様にとっての唯一の励ましであったのです。


(転) では、私たちの場合は、誰から励ましを受けるのでしょうか。

私たちは、まず、このイエス様から励ましを受けるのです。と同時に絶対主からも、そして、

聖霊様から、御使いから、そして殉教者からも励ましを受けます。先週から、私たちの教会に

御使いの長たちも来られるようになりました。それは、私たちの教会がどういう教会で、

どういうことを語られているのか、どういう思いで働きをしようとしているのか、ということを

彼らも知るためです。そして、私たちの指示に従って、同じ心で働きをしたいと願っている

からです。彼らは、いつも私たちが出掛ける時、私たちの車の周りを守る働きをしてくれて

います。このように御使いは、具体的な働きを通して私たちを励まし、助けてくれるのです。

それだけではなく、私たちには殉教者の方々の励ましもあります。多くの殉教者の方々が、

今も眠らずにずっと私たちの教会のために祈っていて下さるのです。本来なら、天に上げられた

聖徒達は、眠りにつきます。しかし、楠の原教会の方々を初め、多くの殉教者の方々は、

あえて眠りにつかず、私達の働きのために祈って下さるのです。そして、心から祈っている

その姿を見て、感動した方たちがまた仲間に加わり、その祈りの輪がどんどん大きくなって

いるとイエス様が言われました。このように、私たちには五重の守りと励ましがあります。

私たちは、これからの生涯、大変な所を通って行くと思います。でも、これだけの守りが

あるならば、私たちは全うできるはずです。もちろん、「恐れがない」と言ったらそれは

嘘になります。確かに、私たちは土塊(つちくれ)ですから、私たち自身は、情けなくて

弱い者です。しかしイエス様は、そんな私たちを励ますために、私たちと同じ肉の弱さを

担って下さったので、私達の弱さも全部分かった上で、私達を励まして下さり、私たちが

この地上において、絶対主に対する働きを全うすることを願っておられるのです。

もし、働きを全うしたならば、イエス様は私たちを兄弟として、また、絶対主の家族として

迎えいれて下さいます。そのことを考えたら、今この地上において、「イエス様と心の通じ合う

生き方」をしていかなければいけないと思いませんか?天において、「イエス様の気持ちが全然

分からない、絶対主の心が分からない」では、とても辛く寂しいことです。


しかし、「まず絶対主の国と、絶対主の義を第一にする。」というこの部分でイエス様と

一致できたなら、天の御国で永遠を過ごして行くことの喜びが、倍増していきます。

それを、私たちはこれからこの地上で培っていくのです。それは決して軽い事柄ではなく、

永遠に繋がる天の御国における重い財産なのです。

(結) 私たちにはこれから「この杯を取り除けて下さい」と思うようなことがいっぱい

起こってきます。しかし、そこで、
「私の思いではなく、御心の通りにして下さい」と、

心の切り返しをしていくべきです。
「たとえそうでなくても、私はあなたの御心に従います」

という心です。その心こそが、イエス様のゲッセマネの祈りと一致する部分です。

そしてその時、自分一人ではなく、五重の助けがあることを覚えて下さい。気を弱くしていて

はいけません。これからはそれに向かって一目散に走っていくべきです。
「まず絶対主の国と

絶対主の義を求めていく」、この綺麗事の信仰の道に足を踏み出して行きましょう。

イエス様と心を合わせ、これから、この生涯を全うして行こうではありませんか。アーメン。





                                      

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室