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 2014年1月26日 





『抜け目のない執事』



ルカ16113







(起)「抜け目のない執事」のたとえ話を通して、主に対して積極的に行動することについて

学んでいきたいと思います。


(承) さて、ある金持ちの所に一人の執事がいました。その執事は不正を働いていたので、

それを告発する者がおり、ある時主人から「会計報告を出しなさい」と言われます。どうした

ものかと考えたあげく、彼は主人に対して借金を抱えている者たちを呼び出し、「あなたの借金

の額を、半分に書き変えなさい」と言いました。どの道、首を切られるのだから、その後の身の

振り方を考えて、「首を切られた後は、彼らに助けてもらおう」と、抜け目なく不正を働いた

のです。そこで、この主人は、この執事のあまりの抜け目のなさに、あきれはてて感心して

しまうほどでした。


(転) では、このたとえを通してイエス様が言いたかった事とは何でしょうか。

それは、「この世の人たちが、自分の身を守るためならここまでするのですから、あなた方も

永遠の命のために本気にやりなさい。」ということです。「どうせこの世の富を使うなら、

自分の死んだ後のことを考えて、永遠の命のために使いなさい」というのが、イエス様の心です。

すなわち、永遠のいのちを得るために、他力本願ではいけないということです。「自分の意志を

積極的に働かせ、この世の財産があるなら、それも永遠の友を得るために使い尽くし、

すべてをかけてでも永遠の御国に入るために用い尽くせ」ということを、ここでは言われ

ています。しかしながら、聖書は基本的には、他力本願です。

例えば、「あなたの道をヤハウェに委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」

(詩篇37:5)という御言葉がありますが、直訳すると、「あなたの道をヤハウェの上に転がせ。

そして彼により頼め。すると彼が行なう。」となります。ここを読めば、「全部主がやって

下さるんだから、主に委ね、ただ信頼していけばいいんだ」ということになります。確かに、

主の恵みによって、「主がやって下さる。」これは嘘ではありません。しかし、だからこそ

私たちも、主に対してなすべきことを積極的にやっていかなければならないのです。ここに

二面性があります。ですから、「自分にはこれは出来ないけど、絶対主がやってくれるん

でしょ」という考え方は間違っています。自分が出来ないと思うことでも嫌がらずに、

「成すべきことをしたに過ぎません」というしもべの心を持って、自分の自由意志を用いて

一生懸命やっていくことが必要なのです。それは、主が喜んでくださることです。

なぜなら、主に本当に感謝しているなら、自分の命も捧げていく心が出てくるはずですから。

「私の命がお入り用でしたら、喜んで差し出します。私のような者でも、使って頂けるなら、

ありがたいことです。イエス様、何をどうしたらいいですか?」と、心が本気であるなら、

主のいろいろな促しに従っていこうとするはずです。しかし、その主の促しがあっても、

「自分には、それは出来ない」と言って心を暗くし、心を閉じてしまったら、イエス様を

知らない未信者と同じです。結局、自分の出来ることしかやらないのですから、一つも

主に対して積極的にする」と言うことには成らないのです。本気の心がないということです。

私たちは、すぐに「出来ないからしょうがない」と考えますが、それは間違っています。

出来ないと思っても、成すべきことをやっていくのが、主を信頼する者の心です。

そういう心を持つなら、信仰は増していき、その行いを通して「主に信頼していけば

間違いないんだ」ということが分かってきます。「その経験を味わってほしい」というのが、

絶対主の心なのです。それを、純粋な心でやることです。

結) 終わりの時代は、ノアの時のように突然やってきます。その時が来る前に、

「やるべきことはやり終えておきたい」というのが絶対主のお考えです。そして絶対主は、

そのために用いる者をも決めておられます。私たちが同意しなければ、いつその働きが

始まりますか?絶対主の方が、いま我慢しておられるのです。ですから、その働きに本当に

用いられたいと願っているのなら、
もっと積極的になって、真剣に自分の方から行動を

起こすべきです。
いつまでも受け身で、他力本願ではいけません。他力本願は、私たちの

永遠の救いに関してだけです。その後は、積極的に自分の意志を用いていくべきです。

私達が、主の考えに同意しなければ、主も私達を用いることは出来ません。自分自身を

見れば、自分の罪しか見えません。しかし、そんな罪人を救ってくださったのです。

ならば、もう自分のことより、主の思いを第一に考えるべきです。
このコツは、自分(我)

から離れることです。
そして、イエス様を見上げ、自分自身の純粋な心で、

永遠のことのために、主に対して積極的に行動していきましょう。
 





                                      

  
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