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2014年11月16日    



「空っぽの器」に必要な心



使徒の働き15章1~12節


(起)「空っぽの器」になるための、必要な心について学んでいきたいと思います。

(承) さて、今日お読みした15章は、ユダヤ人がアンテオケの異邦人教会に行き、「モーセの

慣例に従って割礼を受けなければ、救われない」と言い始め、問題が起こってしまったという内容

です。では、何故こんな論争が起こってしまったのか、またその原因はどこにあったのか考えて

いきましょう。

  それは、まずユダヤ人たちの内に、「モーセの律法に忠実に応えていかなければならない」という

強い正義感があったからです。しかし、同じユダヤ人であるペテロさんは、その律法について、

「私たちの先祖も私たち自身も負いきれなかったくびき」と表現しています。彼はここで、「自分は

律法を守りきれなかった」ということを正直に認め、「だから、主イエスキリストによって、恵み

で救われたのだ」と伝えています。

  また、主の兄弟ヤコブさんも、その後「異邦人の救いについては、もともと旧約聖書で預言され

ていたことで、決して聖書に反している事柄ではない」ということを明らかにしています。

だから、ユダヤ人たちは「あ、そうか。じゃあこれで良かったのだ」と受け止めていけば良かった

のですが、なかなか新しい教えを受け止めることができず、彼らは、今まで学んできたものや、

習慣的に守ってきたものに固執し、それを否定して、新しい教えの中に入ることが、できなかった

のだと思います。


(転) では、私たちはどうでしょうか。実は、これは私たちの教会にも起こっていることです。

例えば、最近の学びで、「人の心を汲んでいく心を持たなければ、主に仕えていくことはできない」

ということを学んで来ました。それは、「女性の(かしら)は男性で、女性は仕える者として

創られたのであり、女性は助け手として創造されたのだから、相手の気持ちを汲んで、助けていく

べきだ」ということを学びました。しかし、私たちは子どもの頃から、男性も女性も対等に勉強し、

対等に育てられてきています。ですから、イエス様を信じて聖書を読み始めた時、「女性は男性に

仕えていく者だ。」と分かったとしても、「女の頭は男だ。」という話に心が付いていけません。

ですから、私たちが新しい考えの中に入っていくためには、過去に持っていた自分の考えや先入観

を否定する素直さが必要となります。なぜなら、子供の頃からの対等意識を入れたままでは、聖書

の考えが入ってきません。
子供の頃から培ってきた自分の考えが、自分の心の器に満ちています

ので、新しい考えを心に入れる余地がないからです。
だから、人の意見を素直に聞く心も持て

ませんし、新しい考えを入れる心の場所もありませんから、聞いても心が受け付けないのです。

器に余裕がなければ、入れたつもりでも、すぐに出て行ってしまいます。だから、空っぽの器が

必要なのです。空っぽの器とは、「罪人である自分のこれまでのものの見方、考え方が間違って

いたんだ」と悟り、
「それはもう通用しないから、新しいものを入れていこう」という気持ちに

なっていくことです。そこで初めて、「イエス様が仰ることも、牧師が言うことも、それを汲ん

でいく心が生れてきます。そこから、新しい具体的な生き方が始まっていくのです。聖書には、

「新しい葡萄酒は、新しい革袋に入れなさい」とあります。

(結) ですから、「空っぽの器」というのは、自分の心の器の中に入っていた、罪人のものの

考えを、全否定するところから始まります。その後、「本当に主に従っていきたい」という心が

芽生えたのなら、次のステップとして、「自分自身を徹底的に否定して、主に従っていく道を選ぶ

自由意志が必要」です。そうでないと、この先絶対主の考えと、自分の考えがいつも喧嘩すること

になり、絶対主の意向に対して邪魔するだけになってしまいます。自分の考えを保とうとすること

は、「自分の力でやっていこうとすること」であり、「自分の考え方で生きて行きたい」ということ

です。
私たちは、「自分は罪人で、自分の力ではやっていけません。だから、私にはイエス様が

必要です」というところから始まったはずです。ならば、無条件でイエス様の前に、「自分の

これまでの考え方は、ご破算にします。そして、心を空っぽにして、新しい考えを学んでいきます」

というスタートを切らなければなりません。
しかし、逆に、この考えに従う道をスタートすれば、

「今からでもあなた方を用います」と、絶対主は仰って下さいます。
罪人は自分に見切りをつけ、

主に自分の目を向けます。
私たちは、もう古い人間の先入観にとらわれず、新しい教えである、

絶対主の心を汲んでいくことに徹しようではありませんか。イエス様の贖いを受けた者として、

これから積極的に、イエス様の考えに立っていきたいと思います。前向きに努力していきましょう。

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