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 2014年11月9日    



自由意志を持って仕えていく



使徒の働き10章1~23節、34~48節


(起)絶対主に対して、私たちの自由意志を持って使えていくことを学んで行きたいと思います。

(承) さて、ここで興味深いのは、コルネリオさんに対しては御使いが幻を示し、ペテロさん

には御霊さまが幻を示していることです。まず、コルネリオさんに対して御使いが語ったのは、

彼はまだ、イエス様の救いに預かっていなかったからです。彼には御使いによって示され、

「シモンという人を招きなさい」ということでした。それだけなら、「たいした問題じゃないな」

と思われるかもしれませんが、異邦人の彼にとって、ユダヤ人を自分の家に招くということは、

とても勇気のいることであり、御使いの示しがなければ、ここまで大胆に招くことはできなかった

と思います。また、ペテロさんに対しても、御霊の示しがなければ、恐ろしい夢になっていた

ことでしょう。彼は、いろいろな動物が入った入れ物を見せられ、それを『ほふって食べなさい』

と言われるという内容の幻を3度も見たのです。その入れ物の中には、汚れた動物も混ざって

いましたから、それを「食べなさい」と言われれば、「悪魔からの夢かな」と疑うでしょう。

彼は、「嫌な夢を見ちゃったな」と思ったに違いありません。しかし彼は、同じ幻の中で、

「絶対主が清めた物を清くないと言ってはならない」と聞いて、その言葉を思いめぐらせました。

ただ自分の先入観だけで、「こんなのおかしい」と言って退けるのではなく、逆にそれを受け

止めていたのです。それは、彼の心が絶対主に向いており、自分の身勝手な判断だけで決め

付けてはいけないと考えていたからです。自由意志を、あくまでも絶対主に対して使っていこう

としていたペテロさんの判断があったからです。ですから、彼は思い巡らせましたが、それを

否定せず、御霊の示しを汲み取ろうとする心を持っていたのです。最終的には、御霊さまの声に

従ってコルネリオさんの家に行き、コルネリオさんだけでなく、大勢の人に福音を語ったのです。

これが、異邦人に救いの門を開くきっかけとなりました。本来なら、民の指導者である、祭司や

律法学者たちがこの経験によって、異邦人の門を開く方が、スムーズに行っていたと思います。

しかし、絶対主のご計画はそうではなく、あえて無学な使徒たちを使われました。実は、それは

私たちにも言えるのです。絶対主は、小さな群れである私たちの教会に御心を懸け、これからの

働きをさせようとしておられます。しかもその働きは、使徒たち以上の大きな働きです。

そして、それは私個人の働きではなく、教会全体の働きとして、前もって選ばれた私たち

ひとり一人を用いようとして、絶対主は御計画を持たれました。

(転)では、絶対主に使っていただくために、一番大切な心は何でしょうか。それは、
私たちの

持っている自由意志を、ペテロさんのように絶対主に対して働かせていくことです。
私たちが、

主に仕えていくという時、つい自分のペースで仕えていこうとしてしまいます。自分のペース

とは、「自分のやりたい方法、自分のできる方法で仕えて行く」ということです。これは、本当

の意味で仕えるということにはなりません。
確かに、「主に仕えて行きたい」という気持ちは
                                      

あるかもしれませんが、その気持ちの根底にあるのは、自分です。
「自分が、それを遣りたい

から、遣りますとか、遣りたくないから、遣らない」ではいけません。あるいは、「できる、

できない」で決めるのも間違っています。私たちは、自分の気持ちに従って、「できそうだ」

という見込みができたら、踏み出そうとします。その考えでは、絶対主の働きの妨げになる

だけです。これから大きな働きに用いられて行く時、もう自分の気持ちに従ってはいけません。

「ただ絶対主のお考えが何かを汲み取って、それを実現したい」という強い気持が必要ですし、

それが前に進んでいく力となっていくのです。この私たちの明け渡された心、砕かれた心が、

絶対主が必要とされるものです。ですから、心の中にある自分の思いを押し殺して従うの

ではなく、自分の自由意志をペテロさんのように前向きに正しく使って従っていくのです。

「私は絶対主の意向に従っていきます」と、自分の自由意志を積極的に用いて使っていく

のです。ただ、自分のやりたいことや、できることをするのではなく、「主の意向がそこに

あるなら、その意向のために、何が何でもします」と、自分の気持ちをそこに強く向けて

いくのです。「主人が何を考えているのか?何をしてほしいのか?」を汲み取って、それを

満たしていくのが、本当に仕えるしもべの心です


(結) ですから、
私たちは絶対主に対して自分の自由意志を前向きに使っていきましょう。

こうして自分の心を変えていかなければ、結局は主の働きを邪魔し、混乱させるだけで終わって

しまいます。私たちは、バックアップする者も、前線に出る者も、一つ心となって主の意向を

考え使っていただくのです。
やり方も、ペースも、タイミングも、全部絶対主に委ね、預けた

上で、絶対主の意向を実現していくならば、そこに絶対主の栄光が表されます
。このような

自由意志を働かせていくことを絶対主は願っておられ、その心がこれからの働きに必要な心です。

この心を持って、絶対主にお仕えしていこうではありませんか。

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