自然法則は、数々の観察を行い、また繰り返し実験された後で、厳しい審判に耐えて、
初めて自然法則となる可能性を獲得します。ですから客観的事実として捉えることが
できます。しかし、進化論のように仮説として、まだ科学的に証明されていない憶測的な
思弁が、今日では教科書などに載せられて、あたかも事実のようにひとり歩きしています。
仮説が自然法則になるためには、「仮説は事実に基づかなければならないし、すでに知られ
ている自然法則と矛盾するものであってはならない」のです。ところが、進化論の仮説
には、対立する自然法則と矛盾しています。それは、エントロピーの法則です。
エントロピーの法則は、熱力学第二法則で「物質とエネルギーは一つの方向のみに向い、
使用可能なものから、使用不可能なものへ、秩序あるものから無秩序なものへと変化する」
というものです。この法則は、「相対性理論」よりも確かな物理法則です。そして、この
物理法則は、進化論を否定しているのです。この「エントロピーの法則」という本を訳した
のは、実は、「ニュートン」の編集長であった、故竹内均氏です。彼は進化論を推し進め
た人物で、その彼が進化論を否定する本を訳したのです。
この本の中で、「進化論は、もはや科学的根拠を失った」と書かれています。なのにテレビ
や「ニュートン」の雑誌で進化論を推し進めてきました。これは、大きな自己矛盾です。
科学者でありながら、客観的事実に立たず、心的事実に立っているからです。
この心的事実は、「心の中で考えた思弁によって、黒が白となる事実」です。
すなわち、「明らかに自分のしたことが、自分ではしていないと考え、それが自分の事実
となる」という恐ろしいものです。この傾向は、女性の性質の中に強く存在する認識の
ようです。これは、進化論が仮説であると分っていても、客観的事実のように思い込んで
しまう。このことは、クリスチャンにとっては、致命傷です。自分の罪と向き合うことを
嫌い、自分の悔い改めも、簡単に翻してしまうからです。女性たちは、自分を守ろうと
することが全ての悪の根、裏切りの基であることをキチンと自覚し、キリストの前に正直に
なるよう始めなければなりません。私たちの命は、情報から成り立っていることは
客観的事実です。この情報の主である創造主に従うのは、クリスチャンの客観的事実です
から。 |
「エントロピーの法則U」
著 ジェレミー・リフキン
訳 竹内 均
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