天地万物の創造主が、私たちの命を造り、生かして下さっていることが分ったら、
この方に逆らうことは出来ません。むしろ、私たちの命と生きる環境の全てを、
この方からいただいたものであるなら、従っていくのは当然でしょう。
しかも、御子イエス・キリストの命を下さり、私たちの罪をすべて引き受けて永遠の
命までも下さいました。それなら、残りの生涯をこの永遠の命のために生き、永遠の命の
ために死ぬのです。即ち、私たちのこの地上のほんの一時を、自分のためではなく、
創造主のために生きていくなら、私たちの地上の命の意味があるでしょう。私たちには、
このあと永遠の時間が用意されているのです。それなのに、なぜ、そのことに多くの
クリスチャンが気づかないのでしょうか。このことに気づかないでいるため、地上の一時
の楽しみと、幸せを追い求めています。
しかし、クリスチャンにとってキリストのための地上の一時の苦しみは、永遠の喜びに
つながります。ですから、地上にある人間中心の人本主義は間違っています。
私たちは、キリストの日に永遠の御国へ迎えられるのです。その御国は、創造主の御心の
中にあって生きる世界です。ですから、私たちは、この地上でも、「ただ創造主の国と
創造主の義」を求めて生きます。その生き方は、自分の考えに立って、自分を守って生きて
いく生き方ではありません。「ただ、創造主にだけ頼って生きていく」生き方です。
この生き方をするために、私たちは、御霊の声を聞けるようにされました。ですから、
もう創造主の御心を勘や、自分の直感で判断しなくてもいいのです。全て、確かめて判断
できます。しかしながら、なお自分の命を自分のものだと思っている人は、この人生を
自分の思い通りにしようとします。私たちは、自分の命を自分で創ったところがあります
か? 1つもありません。それなら、創造主だけに頼って生きていく人生が正解です。 |
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