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2013年 NO.480




罪の悔い改めとは




 「わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を悔い改めに至らせるために

来たのです。」(マタイ9:13


 キリストは、罪人を救うために何の条件もつけずに受け入れて下さいました。

それは「ただ、絶対主の恵みにより、キリストイエスによる贖いの故に、値なしに義と

された」からです。このことによって、多くのクリスチャンは、「こんな罪人の私も恵み

で救われる。だから、罪人の私を受け入れ続けて下さい。赦し続けて下さい。」と

言います。しかし、何か忘れてはいませんか?

 イエス様は「罪人を悔い改めに至らせるために来られたのです。」ということは、

罪を犯しても、そのまんま受け入れ続ける。そのまんま赦し続ける。ということでは

ありません。主は、悔い改めに至らせたいのです。この悔い改めに至るとは、

「悔いし、砕かれたへり下り」がなしで、悔い改めたことにはなりません。即ち、

悔い改めとは、「罪の我を砕いて、へり下りの心を持つことです。」
それは、

「二度と同じ罪を犯しません。二度と同じ過ちを犯しません。二度と同じ失敗を繰り

返しません」と、自分に言い聞かすことではありません。私たちは、皆芯から罪人です。

根っからの罪人です。ですから、絶対主の前に、罪の製造機である自分しかありません。

だから、救われてからも罪人です。たとえ全財産を貧しい人々に捧げたとしても、

罪人に変わりありません。それで義とされることはないのです。逆に、たとえ同じ罪を

犯したとしても、救われていないということではありません。

私たちは、罪を悔い改めたとしても、芯から罪人である私たちは、罪が染み込んでいます

から、決して、罪を犯さなくなる人間となることはできません。

「ただ、イエス・キリストを信じる信仰によって義とされる。」(ガラテヤ2:16)

のです。ですから、私たちの出来る唯一の悔い改めは、悔いし、砕かれたへり下りだけ

です。
そのへり下りは、見せかけとか作りものであってはいけません。裁かれて、自分

をかばうところにへり下りはありません。本当のへり下りは、罪人である自分は、煮ても

焼いても、ひっくり返っても罪人であるのですから、ありのまま謝り、ありのまま悔い

改めることです。
そこに自分を守るものは、1つもありません。だから、否定されて

当然、怒られて当然、叱られて当然です。反発しない心こそ、へり下りです。




   
    



 
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