五島列島の久賀島(ひさがしま)では、6坪ほどの牢屋に信者200名が8ヶ月間の間
押し込められ、連日悲惨な拷問が行なわれました。その結果43名が殉教の死を遂げて
います。畳一枚の広さに、何と15人の者を入れていたことになります。
多くは、人の体にせり上げられて足は地につかず、更に身動きすらできない状態で、
トイレもなく、ウジが湧き、着物を伝って這い上がり、13才の女の子はウジに下腹を
噛み破られ死亡しています。この中で、キリシタンたちが耐え抜くことが出来たのは、
イエス様がいつも「大丈夫ですよ。わたしが共にいますからね。大丈夫ですよ。わたしが
共にいますからね。どんなに体が蝕まれても、わたしはあなたと共にいますよ。
わたしは一緒ですよ。」と声をかけて下さっていたからです。そして、彼らは、平安と
喜びを与えられていました。
この彼らの信仰の証しは、たとえ拷問と苦しみの中にあっても、イエス様を信じ
続けていけるという綺麗事の信仰が通ることを証ししてくれたのです。この後、
もう一度この時代に最後の苦難がやって来ます。それは大患難という苦しみです。
しかし、その苦難の中を通させられることは、絶対主の真実とイエスキリストの極限に
至までの愛の故に、私たち一人一人がイエス様を最後には、信じて従うことを明らかに
させていただく恵みの経験です。本来なら、臆病で、怯えて、すぐビビル弱い者です。
しかし、死に至るまで忠実であろうとする者の内に、「イエス様が共にいて、
大丈夫ですよ。わたしは一緒ですよ。」と声をかけて下さり、自分の命を差し出して
イエス様を信じてきたことの証しをさせて下さる時だからです。その心ある信仰だけを
主は見て、受け入れて下さるのです。
私たちは、罪人です。罪の製造機です。そして、弱い者です。
しかし、最後の時、たとえ命を取られることがあっても、主を信じますと
綺麗事の信仰を通させて下さるイエス様がいるのです。これで十分ではないでしょうか。
ですから、最後は、「たとえそうでなくても」と、従う砕かれた心さえあれば、主は
十分だと言って下さるのです。主はカッコいい信仰を求めておられません。泥臭くて
良いんですと 言って下さるのです。最後まで信仰を全うさせていただきましょう。
この後、聖霊のバプテスマを受けた後、使徒行伝以上のことがこの春日井に起ると
言われています。へり下って用いてもらいましょう。
五島列島・牢屋のさこ教会 |
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