教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


 2013年8月4日 





『雲上人の生き方』



ヨハネ41026




(起)「雲上人の生き方」ということについて学んでいきたいと思います。


(承) さて、私たちクリスチャンは、このヨハネの福音書をよく読み、信仰の在り方や、

イエスキリストを信じるとはどういうことかということを学んでいくべきだと思います。

しかし、多くのクリスチャンは、この書を読んでも、心の中に、なかなか入ってきません。

なぜなら、この書には、完璧に天に属する見方をするイエス様と、地上的な見方しかできない

ユダヤ人との噛み合わない会話がそのまま記されており、私たちも、完璧に天的な霊に立って

いなければ他人事で、地上の感覚と天の感覚の混ぜもの心では、よく理解できないからです。

今日読んだところは、イエス様とサマリヤの女の会話が出てきます。イエス様は、「水を下さい」

と言って求めていながら、10節では、「あなたの方から私に水を下さいと求めるはずです」という

言い方をしています。このサマリヤ女は、地上的なものの見方をしていましたから、水と言えば、

飲む水のイメージしか湧かず、イエス様が「あなたと話をしている、このわたしが、メシアです」

と言われるまで、語られていた内容がよく理解できなかったと思います。ヨハネの福音書は、

このような内容が多く、イエス様はこの後も、地上とかけ離れた話をしておられます。

ですから、私たちは、霊的な心を持ってイエス様を見上げなければ、イエス様が語られていることば

が、心に入ってきません(23節)。霊の感覚と、この地上で生きている感覚をごちゃ混ぜにして

理解しようと思っても、イエス様が語っておられる意味は分からないのです。コリント人への

手紙で、「あなた方には、御霊に属する人のように話すことができないので、霊的な話し方を

しても、あなた方には伝わらない。むしろ、肉的な、地上の人間として話さないと、あなた方は

分かってくれない」(Tコリント313)とパウロさんが語っているとおりです。


(転) では、私たちの教会はどうでしょうか? 私たちも同じです。本来ならば、私たちは皆、

肉から離れて、霊的なものの見方をしているクリスチャンの集まりのはずです。すなわち、

空っぽの器になり、砕かれた悔いし心を皆持っているはずです。20年以上前からずっと学んで

来たのですから、それが当たり前になっていなければなりません。しかし、現実は、当たり前に

なっていないのです。「今になっても、まだその力がありません」(Tコリント32)と書いてある

とおりです。皆、「自分はイエス様を信じている」と思っていますが、自分自身の感覚は、

「目で見て、触って、理解できることしか信じない」というところに留まっていませんか。

では、皆さんは、「自分自身は死んだ」ということを本当に理解しているでしょうか? 私たちは

もう死んだのですから、今は、キリスト・イエスにあって生きている者です。
つまり、私たちは地上

の人間ではなく、雲の上に生きている雲上人です。
それなのに、自分の弱さや、自分の肉のメンツ

のような、地上的な心に凝り固まっているのは何故ですか?確かに、私たちは、地上で生きています。

そして、肉の弱い自分自身を持っていますが、それと同時に、イエス様によって新しくされた

自分自身も持っているのです。その新しい自分自身を見ずに、地上のダメな自分自身ばかり

見ていては、「イエス様のために使って下さい」と自信を持って言えません。しかし、新しい人と

された観点から見ていけば、「イエス様がやって下さるんだ」と、自信を持って信頼していくことが

出来ます。サマリヤの女の箇所を読んで、「イエス様が飲ませて下さる水があるんだ」と、

それをスッと受け入れることが出来る心を持つことは、能天気ではありません。イエス様に対して、

そのような気持ちを持つことが当たり前なのです。それが新しい人です。そして、そういう意識を

持って、イエス様を肯定的に受け止めていくことができれば、イエス様の役に立つ者となっていく

でしょう。確かに、私たちは肉に属する者で、それに捕われている現実があります。

しかし、意識はいつも上を向いて、イエス様を仰いでいかなければなりません。

そして、地上の常識や法則ではなく、天の法則が成り立つということを信じていくのが、本当の

クリスチャンです。私たちは死んだ者で、新しい人を着たのですから、この雲上の考え方で生きる

クリスチャンこそ、新しくされた雲上人の真のクリスチャンです。


(結) ですから、私たちは、イエス様が語っておられる考え方をそのまま信じて行動していく

べきです。イエス様と同じ霊的な感覚に立ち、「イエス様はこのように言われた。だから自分たち

もそのようにする」
と、証ししていくのです。これが私たちの信仰です。私たちは、同じ船に

乗ったのですから、同じ心で一致してやっていきましょう。
弱い肉を持っているのは皆同じです。

しかし、私たちは、ただイエス様はお出来になるのだから、それに習っていこうとすればいい

のです。この上を見上げることが信仰です。

そして、自分たちの肉の力が通用しないことが分った時、本当のイエス様の力が私たちを覆います。

まさに私たちの教会がそうです。人間的により頼むものは何もありません。逆に人間的により

頼むものが、次々に失われていきました。しかし、力は増しています。ですから、ひとり一人が、

雲上人の心を持って強い心で証ししていきましょう。
 

 



                                      

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室