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 2013年5月5日 




『本気の心』


マルコ131427





起) 
創造主に対する本気の心を学んでいきたいと思います。

(承) さて、13章には世の終わりの前兆について記されていますが、現実に大患難が私たちの前

に現れるのは、14節の「あの荒らす憎むべきもの」の出現からです。いわゆる666が現れ、

かつてない、今後もないような患難が起こってきます。(19節)そして、人間にとっては

いちばん恐ろしく、どうすることもできない、天変地異が起こります。

その後、ようやくイエス様が来られます。(26節)そして、その一連の中で携挙があります

27節)。

 しかし、多くの人々は、「イエス様がおいでになるのは患難時代の初めだ。」と言って、

安心しています。どこにそんなことが書いてあるでしょうか。そんな混ぜものの話を勝手に作り

上げてはいけません。聖書の中に混ぜものが入っているのではなく、私たちの捏造によって、

勝手に作り上げているだけです。

(転) では、私たちの心の中にある一番の混ぜものとは何でしょうか。それは、
地上に望みを

置いていること
です。私たちは、いつもこの地上での幸いを追求しています。確かに創造主は

私たちに、この地上で生きる命を下さいました。しかし、この地上で私たちを生かすことが

創造主の目的ではありません。私たちに与えられた命の目的は、創造主の国で永遠に生きていく

ことです。そして、永遠の御国に入るための訓練と、備えをこの地上でしています。

そうでなかったら、初代のクリスチャン達は、一番哀れな人々になります。なぜなら、彼らが、

イエスキリストを信じると言うことは、即、死を意味することでした。ですから、
例え殉教しても、

本来の人間の生きる御国が約束された救いこそ、命を懸けて求めるものでした。


だからこの地上で一番大事なものは、イエス・キリストの救いであって、それを得るために、

砕かれた悔いし心が必要だったのです。「あれをやってきました。これをやってきました。

困難、苦しみの中でこれだけ福音を伝えました。」という行為が受け入れられるのではありません。

傲慢な心をもって、自分たちの働きによって天に行けると思ったら大間違いです。
イエス様が目

を向けておられるのは、私たちのへりくだった心だけです。
そう考えていくと、私たちの信仰は

聖書通りではなく、混ぜものだらけだということがよくわかります。今もし、悪霊につかれた人が

教会に来て、「自分は悪霊にやられているんです。この汚れた霊から、私を解放して下さい」と

言われた時に、「わかりました。」と言って、イエス様がされたように助けることができる人は

いるでしょうか?それが、できなければ、「病院に行って下さい。」と言うしかありません。

しかし、聖書を見ると、イエス様は妨げの霊をみな追い出しておられます。聖書の中に書いて

あるのなら、今も起こらなければいけません。それが聖書の通りということです。

ところが、現実は、自分に力がないため、「聖書の通りなります。」と言えません。それなら、

聖書通りではない信仰を持っていることになります。ですから、聖霊を証するものは、聖書に

書いてあるとおりさせてもらわなければ、人は信じません。私たちは、
御霊の力を受けて、聖書に

書いてあることは、そのままなりますというべきです。即ち、聖書の綺麗事が通用する事を証し

すべきです。
これまで、綺麗事なんて遠くの方にあって、手が届きませんでした。

しかし、今は、約束通り力を受けて、聖霊の力強い働きを主がしてくださると言われています。

ですから、聖書に書いてあるそのままのことを味わっていける世界があります。

私は、「50年間巻き戻してほしいな。」と思いました。しかし、主は「確かに50年間は長かった

かもしれないけれども、ヨセフだって同じだっただろう。砕かれた悔いし心を持つことが、力を

受ける最低限の備えです」と主は言われます。「この事に気づくまで、長い訓練が必要だった

だろう。」と言われました。ヨセフも同じであったからです。

(結) 皆さん、私たちには本当にこの力が必要だと思いませんか? 主はそのことを約束して

下さっています。私たちはこれから、世界中で用いられていくのです。全員が砕かれた悔いし心が

分かり、「自分じゃなくて、主よ。あなただけです。」という心が備えられていたなら、皆同時に

聖霊による力を受けることができます。しかし、創造主は、「もうこれ以上待たない。」と言われ

ました。私たちは、人から祈られて力を受けるのではありません。主から直接いただくのです。

だから、一人一人が主の前に本気で取り組み、明け渡された心を必要としています。私たちの命は

天で生きるために、与えられたものです。ですから、
この地上でイエス様にすべての価値を置き、

イエス様に従って、残りの生涯を生きていこうではありませんか。自分の中に、この世的なの混ぜ

ものを入れていてはいけません。本気の心を持って心を砕き、空っぽの器に油を注いでもらい証し

することが、本物のクリスチャンの生き方です。
 






                                      

  
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