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 2013年4月28日 




霊の考え方で歩む』


マルコ102831



起) 霊的な考え方で歩む、クリスチャンの生き方について学んでいきたいと思います。


(承) さて、イエス様は、「富む者が創造主の御国に入るのはなんと難しいことか。」(23節)

と仰いました。それは、人が永遠のものと、地上のものを天秤にかけた時、「地上のものを、

捨てられない。」と判断するからです。ところが、イエス様は、「親や兄弟や財産よりも、

わたしを第一にしなければならない。」と言われました(2930)。では、現実に私たちは、

本当にイエス様だけを第一にして、従っていくことができるのでしょうか?



(転) 最近は、ごちゃごちゃ考えずに「はい分かりました。」と素直に従っていくことが

「空っぽの器に油が満たされる」ということであると学びました。

また、前の週には、「砕かれた心を持つために、叱られたときに不機嫌にならず、へりくだって

明るい気持ちで聴きましょう。」ということも学びました。そのことによって、「空っぽの器とは、

どんなものか」というイメージがだんだん理解できて来るからです。そして、その心を持って

具体的に歩んでいくときに、イエス様を第一にして歩むことが分ってくるからです。「砕かれた

悔いし心と、へりくだりを、主は軽んじられない」と言われます。ですから、「それで良いのだ」

と確信し、同意して、この生き方を普段からしていくべきなのです。では、普段どういう考え方を

していけば、それを実現していけるのでしょうか?まず、私たちは、「ごちゃごちゃ考えるのは

やめて、素直に主に従っていくのです。」ところが、現実に、普段考えなくちゃいけないことは

たくさんあります。ですから、つい、頭で、ごちゃごちゃ考えてしまいます、そこで、それらの

ことを、霊的に考えていくことを身につけるのです。つまり、聖書に基づいた考え方をしていくと

いうことです。ところが、皆さんはそれがどういうことか分かっていませんから、それを学んで

いかなくてはなりません。ごちゃごちゃ考えずに、「はい分かりました。」と従っていく、

その従い方で本当にやっていけるのかどうか、社会でも通用するのかどうかということを、

私たちは経験していかなくてはならないのです。一つの具体的な例話があります。

 例えば、皆さんが、「模型を作ってくれ。」と頼まれたとします。頼んだ人は、

「クリアなケースもあると良いな。」というイメージをもっていますが、そこまでは言いません。

さて、そんな時、多くの人は、自分でいろいろ考えて、認めてもらえる物を作ろうとします。

「こうやって作ろうかな。これも必要かな。」と、いろいろ考え、自分のもっている能力を認めて

もらうため、自分の頭を屈指します。この頭の使い方、用い方というのが一般的です。しかし、

クリスチャンのやり方は違います。
「はい分かりました。」と言って、心で作り上げようとする

のです。
この時、ケースまで作ってくるのは、後者です。なぜなら、後者のように、

心で「分かりました。」と言った場合は、
相手の気持ちになって作ろうとするからです。

私たちは、この心で主に仕えていくのです。それは、「いつもイエス様のことを考えながらやって

いこうとする心」を使っていくということです。そうすれば答えは出てきます。会社でも、

「はい分かりました。」と言って仕事を受け、主に対するように、心で答えていこうとすること

です。この考え方が、霊的に物事を考えて、仕事をするということです。
イエス様を中心に物事を

考えていく霊的な考え方が、世でも通用するということ
を、自分たちの生活の中で体験していか

なければなりません。
すなわち、信仰と生活を色分けせず、全部信仰の心を持ってやっていくの

です。
そうすれば、霊的な生き方がどういうものか、分かるようになってきます。

イエス様は、「これからの働きはめざましいものとなってきます。いよいよ、あなた方が願って

いた力強い伝道の働きをする時が来ました。」と言われました。自分たちが今まで考えていな

かったような、かつて見たことがないような、めざましい働きをイエス様がさせて下さるのです。

私たちはそういう主の働きの中に入っていくのです。

(結) ですから、私たちの霊的な具体的な生き方をまず始めていくのです。

そして、この生き方を始めていく中で、イエス様は私たちに、聖霊のバプテスマを通して力を

与えると仰るのです。使っていただこうではありませんか。このイエス様をお迎えしょうでは

ありませんか? 創造主が、イエス様の十字架をご覧になった時、涙をもって創造主はこらえて

おられたのです。それは私たちのためです。こんなに大きな愛を私たちは頂いているのです。

そして、創造主は、そこまでして下さったイエス様に対して、「本当に良くやった。」と言って、

天に引き上げられました。その創造主の心を人々に伝えていきたいと思いませんか。

ここに私たちの生き方はあります。ですから、この霊的な考えに立って、残りの生涯、主にお仕え

していきましょう。







                                      

  
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