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 2013年10月13日 





『終わりの時代の生き方』



マタイ24331




(起) 終わりの時代での、私たちの生き方について学んでいきたいと思います。

(承) さて、イエス様はここで世の終わりについて語っておられますが、そのことについて

語られているのは、今お読みしたところだけではなく、25章の最後までです。

患難時代に起こってくる出来事が非常にはっきりと語られています。まず前半の3年半は、

クリスチャンはイエスキリストの故に憎まれ、殺され、偽預言者が現れて多くの人々が惑わさ

れることが起こってきます。後半の3年半は、いよいよ荒らす憎むべき者が現れ、大きな

患難が起こると書いてあります。その大患難の後に、ようやく人の子のしるしが表れます。

ここで初めて、人の子が天の雲に乗って来るのを見るのです。そして、地に残された人たちが

天に引き上げられる、携挙があります。

このように、マタイの福音書には世の終わりの流れについて明確に記されています

が、これはマタイの福音書だけではなく、黙示録にも同じような流れで記されており、

すべて内容が一致しています。多くのクリスチャンは、患難時代の前に天に引き上げられると

考えていますが、そのような見方は聖書にありません。それでは、つじつまが合いません。

艱難時代の前にクリスチャンが引き上げられるとは、どこにも書いてないのです。むしろ、

携挙は、イエス様が荒らす憎むべき者を裁かれる艱難時代の終りにあります。


(転) では、この聖書の真実が分かった私たちは、どのように歩むべきでしょうか。

それが、2432節〜25章の終わりまでのところに書いてあります。「いちじくの木から譬えを

学びなさい」とあるように、そのことを教えられた私たちは、今、人の子が、近づいている

ことをひたひたと感じ、目を覚まさなければなりません。もし、艱難時代の前にクリスチャンが

引き上げられるなら、安心して眠っていても言い訳です。そんな「脳天気なことを、考えていて

はいけません。」こんなことをしていたら、愚かな娘達のように、戸が閉じられ、泣いて

歯ぎしりするのです。私たちは、「これから患難時代が来ます」という御霊様の声も聞き

ました。イエス様はもう戸口まで近づいているのです。これらのことは、ことごとく起こり、

天地は滅び去ります。しかし、その日、その時刻は、父である絶対主以外は誰も知りません。

ですから私たちは、残された今の時間を大切にしなければなりません。

もう、「悔いし砕かれた心を持つには、どうしたらいいのか」と悩んでいる場合ではありません。

その心を持つことは当たり前です。

あと残された短い時間を自分のために生きて、どれだけのものを地上に残せますか。私たちは、

イエス様の栄光のために生きていくべきなのではないでしょうか?
 絶対主は、たとえ2タラント

しか持っていなかったとしても、「イエス様のためにやっていきたい」と、

一生懸命、がむしゃらにやって2タラント儲けた人には、5タラントの人と同じように

「良い忠実なしもべよ」と言って下さいます。私たちは、このために、がむしゃらになって

努力したら良いのです。

そして、そのように私たちが一生懸命、主の方に心を向けていくならば、たとえイエス様の救い

を受け取ることがない人でも、水一杯を与えたことによって、永遠のいのちの中に入れられる

という人たちまで起こされてくるなら、一生懸命福音を語っていくべきです。終わりの時代に、

私たちがどういう心で主に仕えていくべきかというメッセージがここにあります。

(結) ですから、私たちは、もう自分のわがままな我の中に留まっている時ではありません。

イエス様でさえ、絶対主に対して心を砕きへりくだっておられたのです。ゲツセマネの園で3度も

祈り、「あなたのみこころのままに」と言って自らを差し出されました。イエス様は、私たちの

ような、こんな罪人のためにそこまでして下さったのですから、「自分のことは、もうどうでも

いいです。あなたの御心のために生かせて下さい。」と、すべてを差し出していきましょう。

究極は、自分自身の命です。これさえも差し出して、「どうぞ自由にお使い下さい」と言って、

後はお委ねすれば良いのです。たとえイエス様の故に捕まって死んだとしても、イエス様に自分の

命を委ねて死ねるのです。
こんな罪人の命が、病気や、事故や自分の罪のために死ぬのではなく、

自分の命をイエス様に差し出して終れるなら価値があります。皆さんもそうしたいと思われませ

んか?
 その心を持っていないクリスチャンが、本当にイエス様の救いを感謝している人と言える

でしょうか?そういう人たちは、役に立たないしもべとして捨てられてしまいます。

私たちは、御国に永遠の命が約束されている者なのですから、その生き方をして行きましょう。



                                      

  
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