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 2013年10月6日 




『私たちは、芯から罪人である』





(起)「私たちは、芯から罪人である」ということを学んでいきたいと思います。

(承) さて、イエス様は、「パリサイ人たちが言うことは、実行しなさい。

 しかし、彼らのやり方を倣ってはいけません」と言われました。その「彼らのやり方」とは

何でしょう。それは、口で言うだけで実行しないということです。多くの人は、実際はやっていない

にもかかわらず、いかにもやっているかの如く、また、自分はなんでも出来るかのように吹聴し、

口に出します。それは、私たちクリスチャンも同じです。実際は何も出来ない罪人であるのに、

否、何もしないのに、罪人である自分自身は救われたのだから、「イエス様の前に正しく歩んでいく

べきだ。正しく歩んでいけるだろう」と錯覚してしまうのです。これが大きな傲慢の中に入って行く

入り口となり、クリスチャンの多くが、出来もしないのに、律法主義になるのです。

また、皆、このパリサイ人や律法学者たちのように、クリスチャンも義人ぶっていくようになって

しまうのです。


(転) では、イエス様は私たちをどのように見ておられるのでしょうか。マタイ5章で、

イエス様が山頂の垂訓として語られた教えがあります。それは、イエス様が、弟子達に語られた

ものですが、その通り私たちも、義というものを差し出すとするならば、イエス様が仰ったことを

全部やらなければなりません。つまり、「馬鹿者」と言ってもいけないし、情欲も抱いてもいけ

ないし、右手が罪を犯すなら切って捨ててしまわなければなりません。しかし、それだけのことを

全部やっている人間がいるでしょうか。弟子達も、律法学者もしていません。誰一人その通りして

いる人はいません。否、誰も出来ないのです。ですから、私たちは皆、芯から罪人であり、

根っからの罪深い人間です。それは、パリサイ人も、律法の専門家も同じです。

私たちは、
絶対主の前に、罪の製造機である自分しかないのです。このような者が、人前で義を表

し、義人ぶるようなことが出来るでしょうか。出来ません。
私たちはこの地上にいる限りは、

いくら悔い改めたとしても、自分自身が罪人であるという縄目から解き放たれることはありません。


ですから、そんな私たちが主の前に受け入れられるとするならば、「悔いし砕かれた心」だけです。

「悔いし砕かれた心」とは、「自分は根っからの罪人です。それ以外の何者でもありません」と、

自分の正直な姿を認めることだけです。イエス様は、この芯から罪人である私たちを救うために

おいで下さったのです。義人を救いに来たのではありません。ですから、その事実が分かったら、

私たちはもう守るものなんて一つもありません。自分のわずかばかりのプライドやメンツを立て

ても何になりますか。たとえ財産を全部捧げたとしても、罪人に変りありません。

それで、義とされるわけではないのです。だから、主の前には、一人も義人はいないのです。

みんな罪人です。ならば、悔いし砕かれた心で、主の前に遜るのは当然でしょう。それは、

この世の中では馬鹿にされることかもしれません。しかしイエス様は、その悔いし砕かれた心を

蔑まれません。ですから、天でイエス様とお会いした時、「それで良いのです。私の懐に迎え

入れます」と遜った者に言って下さるのです。

(結) ですから、私たちは義人ぶる必要は一切ありません。なぜなら、罪人で丁度だからです。

だから、その心をもって、イエス様にお仕えしたら良いのです。わずかなプライドを持って、

「これをやりました、あれをやりました」と言うことによってイエス様に受け入れられるの

ではありません。むしろ、それを持っているから受け入れられないのです。私たちは、

そんな悪魔の声にのってはいけません。
芯から罪人である私たちは、罪が染み込んで

しまっている者です。
ですから、「自分は救われたら義人でなきゃいけない」という考え方は

間違っています。本来の罪人は、罪人であることをそのまま主の前に認めているべきです。

それが私たちなのです。それが分かったら楽になりませんか?罪人以上でもそれ以下でもなく、

ひっくり返っても何をしても、「罪人である」というのが私たちの現実で真実なのです。

ですから、その罪人である自分自身をイエス様の前に差し出せば良いのです。

そして、このことが分かったなら、遜って当然。絶対に横道に飛び出してはいけません。

砕かれた心が当たり前なのですから、その心を持って、主にお仕えしていくのです。

そこに留まっていれば良いだけです。私たちはこの事実を知ったのですから、悔いし砕かれた

心の中で一致しようではありませんか。 




                                      

  
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