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2013年1月27日




『命の主に対して』

ルカ18章18〜30節




(起) 本物の信仰について考え、命の主に対して、どういう心を持って歩むべきか

学んでみたいと思います。


(承)さて、私たちは、創造主を信じたことによって、子とされている特権を与えられています。

ところが、私たちは、
この子とされている特権、権威を持っていることの凄さを忘れています。

その事は、妨げの霊の追い出しに現われています。妨げの霊の追い出しが出来ない場合は、

ハッキリとこの権威に立っていないからです。例えば、ヤクザの例を考えて見ましょう。

私たちがヤクザを恐れるのは、その一人のヤクザにビビルというよりも、その背後にある組織を

恐れるのです。妨げの霊は、霊の世界のヤクザです。天使でありながら、創造主に逆らって

妨げの霊となりましたから、何をやりだすか分からないという不安と恐れが私たちの内に起こって

きます。しかし、私たちの創造主は、その上におられる支配者であり、妨げの霊は、被造物に

過ぎません。しかも、この妨げの霊を縛り上げるのも天使です。ひとたび、創造主の命令が下れば、

悪魔も、天使に支配され、縛られます。
黙示録20章1〜3節にあるように、悪魔でありサタン

である竜、古い蛇を縛るのは、御使いです。私たちも創造主の子なる権威を受けている者ですから、

偉大なバックボーンがあります。ですから、「退け!」と妨げの霊に命じる事が出来るのです。


しかも、妨げの霊は私たちの肉体に手を出すことは出来ても、私たちの魂に手を出すことは

出来ません。ですからイエス様は言われました。「体を殺しても、魂を殺せないものを恐れるな。」

と。
私たちが本当に恐れなければならない方は、体も魂も殺すことの出来る創造主なのです。

こんな凄い立場があるのに、簡単に主から離れて行ってしまうのは、愚かです。


(転) では、イエス様から簡単に離れて行ってしまった人について見てみましょう。

この人は、永遠の命を求めてやってきた青年です。主は、彼に「あなたには、まだ一つ欠けたもの

があります。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。」と言われま

した。ところが、非常に悲しんで去っていってしまったのです。彼は、全財産を失ったら生きて

いけないと思って恐れました。彼は、表面的なことは真面目にやっていました。

しかし、目に見えない霊魂に目を留めませんでした。いつも頭を使っていたからです。頭は計算

します。自分が損しないように、苦しまないようにと、いつも考えていまから、最後には、

「出来ない。」と思うと、頭が勝って、去って行ってしまうのです。もし彼が、目に見えない

霊魂に価値を置き、全財産を貧しい人々に与えていたら、その後イエス様は、その倍の財産を

与えてくれていたかもしれません。問題は、創造主を信じ得るかどうかです。信じ得ないから

ビクビクして小細工するのです。信仰の父アブラハムは、約束の独り子であるイサクを捧げよと

言われたとき、その言葉に従って、イサクを連れてモリヤの山に行きました。もし彼を失ったら、

イサクによって子孫が増えると言われた約束を受け取ることも出来ず、全てを失ってしまいます。

しかしアブラハムは、主はイサクを甦らせて下さると信じたのです。イエス様もまた、ゲッセマネ

の園で、十字架を前にして恐れのあまり、「この杯を取り除けてください。」と祈られました。

しかし最後には、「私の思いではなく、御心の通りにしてください。」と、創造主に任せられた

のです。イエス様を甦らせたのは、創造主です。イエス様は、自分で自分を甦らせたのではあり

ません。人の子ですから、創造主に捨てられたら、ハデスの中に捨て置かれてしまうのです。

ですから、「何故お見捨てになったのですか」と言われました。創造主は、イエス様にも、

この本物の心を求めておられたのです。
主を信じて信頼していく本物の心を見たいのです。

本物の心を表されたアブラハムに対して、イサクに手をかけるなと言われました。

又イエス様は十字架まで従順であられたので、創造主はイエスを甦らせ、高く引き上げてすべての

名に優る名を授けられました。

(結) さて、昨年の十二月に仕切り直しとなった私たちに、主が求められたのは、この本物の

心を持って、それを表す信仰です。私たちは、自分の計算に頼らず、ジョージ・ミラーさんの

ように、どこまでもイエス様に頼り、イエス様によって道を開いていただいて、イエス様に助けて

もらって行くのです。この献身の心を持っていたら、伝道者であろうと、普通の信徒であろうと

変わりはありません。私たちは、イエス様と呼吸を合わせて立ち上がるのです。今、この心を

持って本気の献身の心で立ち上って行きましょう。 



  


                                      

  
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