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2012年8月5日




 『知らずに拝んでいる神』



ロマ書1章19〜32節


@ 神(創造主)と自分自身との関わりについて考え、罪からの救いについて学びたいと思います。


A さて、教会では、神(創造主)という言葉がよく出てきますが、神と自分との関係が気になる

ところです。「神って本当にいるのかな」と疑問に思いながらも、日本の国では、日常生活の中で

当たり前のように神という単語が飛び交っています。神社・仏閣に行けば、どこにでも神があり、

拝む対象は八百万があります。そういう意味では、日本人にとっては、神という言葉は慣れ親しん

でいる言葉です。しかし、その神が本当にいるのかどうかと確かめる人は、まずいません。

しかし、私たちは自分の人生を、全て知り尽くすことは出来ませんから、不安材料はたくさん

あります。ですから、私たちは、人間の力以上の方に願い事をささげ、頼るという事を無意識の

うちにやっています。
本当に聞いてくれるかどうかは分からないのですが、困ったときには、

神々に頼るしかありません。
そこで、今日は、私たちが知らずに拝んでいる神とはどういう

ものかを、学んでみたいと思います。


B では、私たちの存在について考えてみましょう。

先ず言える事は、私たちは偶然には存在できないということです。進化論では、命のスタートは

偶然だと主張しています。ところが、たといそうだとしても、今のようなかたちに進化するには、

時間が足りないと言われています。そこで、地球外生命体が地球にやって来たという説が、

ブームを呼んでいます。しかし、地球に到達するためには、超高熱の大気圏を突破しなければ

ならず、これも無茶な説といえます。そもそも、命が誕生するということは大変なことであって、

見当もつきません。
人間の体の仕組みの素晴らしさを見るとき、存在させた方がいて始めて命は

存在できることが分かるのです
20節)。

 例えば、私たちの体の隅々まで張り巡らされている血管は、全長10万キロ(地球の2.5周)

あり、それが絡まることも詰まることもなく活動しているのです。又、私たちの目の仕組の凄さも、

知れば知るほど、その完璧さに驚嘆してしまいます。光の強弱、色の識別は、網膜の後ろにある

1億2千万本の細胞によってなされています。さらに、単細胞生物が持っているモーターは、

エネルギー効率100%の精巧なものです。とても偶然に出来たとは考えられません。偶然とは、

秩序のない、デタラメということです。だから、私たちの体を知り尽くして、知識を持った方が

いないと造れません。実に、自然界も、地球も、全て秩序があり、偶然ではありません。命ある

もの、
秩序あるものは全て創られたものであり、被造物なのです。このように、考えて仕組みを

創ってくださった創造主こそ、私たちの拝む対象なのです。

 ところが
人間は、知者であるといいながら、被造物である人間が作った目に見える像を拝み、

頼っています。しかし、人間がつくった物は人間以下であって、人間を助けることは出来ません。



C 創造主から離れた人間は、自分さえ良ければいいと、自己中心な道を歩むようになりました。

ですから、最後の清算のときがあり、自分が蒔いたものは刈り取りをしなければならない時が

来ます。
人間は自分の罪の処理を自分ですることは出来ませんから、創造主は、独り子である

イエス様によって救ってくださるのです。
イエス・キリストの十字架は、自分の罪の身代わりの

ためだと信じて受け取るとき、救われます。そのとき私たちは、罪の赦しを体験できるのです。
 
                             



                                        

  
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