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2012年8月12日




『主に仕える心』



ヨハネ9章24〜41節


@ パリサイ人たちが安息日を曲解して、イエスを裁いていたことを学び、私たちはどのような

心で主に仕えていくべきかを、学びたい
と思います。

A さて、イエス様は、安息日ごとに会堂に入り、聖書から話をされました。

そして、そこに病人がいると、彼らを癒されました。ところが、その行為をパリサイ人たちは

非難の的にしました。また、生まれつきの盲人を癒されたこの日も、安息日でした。そこで、

あるパリサイ人たちは、イエスを、「安息日を守っていないのだから、創造主から出た人では

ない。」と言い、ある者たちは、「罪人がそのようなしるしを行うことが出来ようか。」と

言って、紛争が起きたのです。その原因は、彼らが安息日を正しく理解せず、昔からの言い

伝えに従っていたからです。

B では、安息日を定められた創造主の御心を考えてみましょう。創造主は万物を六日間で創造

され、七日目には全ての創造のわざを休まれました。それ故に安息日を聖なるものとされ、

どんな仕事もしてはならない、と定められました(出エ20章8〜11)。そこでユダヤ人たちは、

安息日の行動について細かく定め、人々を縛っていったのです。それによって、イエス様が病を

癒したのは仕事とされ、安息日を破った罪人と考えたのです。しかし、そもそも創造主が七日目に

休めと言われたのは、人間のためでした。ところが人間は、その心を汲み取らず、安息日を守る

ためには、どうしたらいいのかと頭を悩ませ、創造主の心とはかけ離れた戒めを勝手に作って、

人々を縛っていました。ここに、人間の間違いがあったのです。その間違いを認めず、自分たちを

正しいとするユダヤ人たちは、安息日に癒したという事で、盲人だった人をパリサイ人たちの所に

連れて行きました。そして、「どのようにして見えるようになったのか」、「目を開けたその人は

誰か」、「その人をどう思うか」などと尋問したのでした。あげくには、盲人であったという

事さえ疑い、その両親を呼んで確かめるという始末でした。彼らはイエスを、安息日を破る、

律法に背く罪人として退け、その癒しは悪霊がやったことだと判断したのです。

しかし、癒された盲人は、悪霊によるとは考えたくはなかったし、目を開けてくれた方を罪人だ

とも思いたくありませんでした。創造主から出たことだと信じたかったのです。そうでないと、

目が開けられても、悪霊の仕業では救われません。私たちも、この命が、進化による、偶然だと

思いたいですか?もし、進化なら、でたらめに存在した命になりますから、救われません。

ですから、盲人は、キッパリと言いました。「あの方が罪人であるかどうか、私には分かり

ません。ただ一つのことだけは分かります。私は盲人であったのに、今は見えるということ

です。・・・もしあの方が、創造主から来た人でなかったら、あの方は何一つ出来なかった

はずです。」と。彼は自分が盲人であったことをハッキリと認めました。ですから、イエス様が

創造主から出た方であると分ったのです。私たちも、
自分が罪人であることをはっきり認めれば、

イエス様に出会った時、主を信じ拝することが出来る
のです。そしてイエス様が、創造主から

出た方であると信じることができます。この方によって救われることができるのです。そこで、

イエス様はパリサイ人たちに、「『自分は、盲人ではない、見える』と言い張るところに、

あなた方の罪がある。」と言われました。それは、もし自分が盲人であることを認めるなら、

自分も罪人であることを認めることになります。そうすれば、イエス様の救いを受け取る者に

なれるのです。それは、間違いをハッキリと認めるなら、創造主が見えてくるからです。ここに

パリサイ人の問題がありました。

C 
私たちは、自分が罪人であると認めたクリスチャンです。

しかしながら、救われた者でも、罪を犯してしまう者です。そのとき、当然叱られたり、

注意されたりしますが、それは当然のことです。ですから、
怒られて反発したり、自己弁護する

思いを砕いて主の側に立つなら、目が開かれてくるのです。救われた者として、自分の判断の

間違いをいつも認めていくなら、創造主が見えてくる
のです。そうでないと、目が開けられても、

自分の都合の中で生きてしまいます。イエス様は、「わたしに仕えようとするなら、わたしに

従ってきなさい。」(12章26)と言われました。
本気で仕えたいと思うなら、自分の見方の中

に生きるのではなく、創造主の見方で生きていく心を持って仕えていきましょう。


パリサイ人の誤りは、ここにあったのですから。  
 
                             



                                        

  
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