『上にあるものを求める生き方』
コロサイ書3章1〜4節
@ 「あなた方はキリストと共に甦らされたのですから、上にあるものを求めなさい。」という
御言葉から、上にあるものを求める生き方について学びたいと思います。
A さて、「上にあるものを求めなさい。」と言われていますが、上にあるものとは何で
しょうか。私たちにとって上にあるものとは、「新しい天と新しい地」です。即ち、上にある
「霊的な価値を求めていきなさい。」という事です。2節では、「地上的なものに心を引かれ
てはなりません。」とありますから、地上で生きていても、天的なものを求めていく生き方が
クリスチャンの地上のあり方だと分かります。
B では、「天的なもの」とは何でしょうか。先ず、私たちの救われた立場について語られて
いますので、そこから見ていきます。「私たちはキリストと共に甦らされた者」です。
というのは、私たちはキリストと共に死に、今は、キリストと共に甦らされた命が、創造主の
中に隠されているからです。また甦られたイエス・キリストは、地上の全ての支配と権威を
虜にし、天に帰られました。ですから、私たちも「天にあるものとしての生き方をこの地上で
して行きなさい」と言われているのです。この地上にあるものは全て、朽ちて消えていくもの
ばかりです。しかし私たちは、永遠のものを見ています。私たちの体も朽ちていくものですが、
キリストの再臨の時、キリストと同じ朽ちることのない永遠の姿に一瞬にして変えられるのです。
ですから私たちは、この地上に在っても、天的なものを求めていくようにと言われているのです。
具体的な例で考えてみましょう。
新しいマイクロバスの購入についてですが、前回のマイクロバスを与えられたことによって、
教会員全員が一つの目標、一つの働きを一致して共に学ぶことが出来ました。しかし不具合が
おきて、車検を機に廃車にしようと思っていましたが、主の導きによって、新しいマイクロバス
を購入する方向へと変えられてきました。そして先週、新潟県の妙高まで見に行ってきました。
私たちの条件を満たすもので、見た目も良いものでしたから、270万円で購入すると決めて
きました。資金は全額満たされているわけではなく、残額をどう捻出したら良いかも分かって
いませんでした。ある意味でバクチです。そこで、この件について役員会に諮りました。
その時役員一人一人が、どのような判断に立つかが問題となります。もし、自分がささげる事の
出来ない状況の中にある役員は、どうしても消極的な判断をしてしまいがちです。人は、
自分を見て消極的になり、「ささげましょうと言うのは・・・お金が満たされるまで待ち
ましょう。」と、この世の常識的な考え方をしてしまいます。すると、そこでストップして
しまうでしょう。これは、地上的な考え方であり、創造主の働きはないものとして、考えた
判断です。そして天に属する者である自分を否定してしまうのです。このように、自分の立場、
都合、メンツで考えると、自然に肉に属する判断をしてしまいます。しかし、もし御霊による
考え方に立つなら、自分の都合によってする肉的な判断はしないでしょう。自分が出来る、
できないではないからです。ここで、たとい僅かでも、ささげる者と、ささげない者との差が
出てきます。たとい10000円でも、参加したいという心の表れがあれば、主はその心を
喜ばれるからです。私たちの命は、創造主の中に隠されているのですから、地上的な考えに心
が引かれるのではなく、上にあるものを仰ぎ続ける判断をすべきです。
C そこで、私たちは、上にあるものを追い求める生き方を、現実にしていく生き方を証しして
いきたいと思います。お金は地上のものであり、お金で信仰を妨げられたくはありません。
また、縛られたくもありません。この生き方を新しい人々に伝えていかねばなりませんが、
牧師と同じ霊的な心を持って主の働きに前進していきましょう。全員が御霊の人であるように。
一つ心で一丸となって伝道していきましょう。 |
|
|