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2012年7月1日


 『キリストにあって歩む』



コロサイ2章1〜15節


@ 今朝は、「キリストに在って歩む」事について学びたいと思います。

A さて、今日の学びの結論は、コロサイ2章6、7節ですが、その前に、キリストの福音を心で

理解することを学んで行きたいと思います。それは、ジョイフルタイムに来ている子供たちに創造主

を証しする時、創造主がいることだけを語っても、創造主と私たちの関係について、「どのような

個人的関係があるのか」について語られなければ、「それが何?」で終わってしまうからです。

創造主と自分との関わりが、心に結びつかないと、「ああ創造主っているのか?」と、頭で聞いて

終わりです。ですから、この理解は心で分からないと意味がありません。

聖書の真理は、「あっ、そうか!」と聞く者の心に留まり、意味を与え、影響を与えるものです。

そして、それが子供達へのメッセージになります。ですから、創造主と私たち、又、イエス様と

私たちとの具体的なつながりを語ることは大切なことで、必要なことなのです。それが分かると

私たちの心には、安心感がやってきて、うれしくなったり励まされたりするのです。


B では、クリスチャンが「キリストに在って歩む」(6節)歩みについて考えてみましょう。

まず、御言葉を頭だけの理解でおわるなら、「そうか。キリストに在って歩むんだな。」と思う

だけです。しかし、この事について分かりやすく説明されることによって、「あっ、そうか!」

と心に入ってくるのです。こうして、「この世の人々の価値観ではなく、キリストに基づいて

判断する」心の動きが出てくるわけです。ところが、頭だけで理解している人は、普段から常に

頭で考えて答えを出してきていますから、人の誠意に対しても心で受け留めようとしません。

ですから、簡単に人の心を裏切ります。しかし、創造主は、私たちに対して心を用いられ、御子の

血を流してまで、私達を救おうとしてくださったのです。それは、創造主の涙で私たちを救おうと

されたことです。ですから、
この創造主の心の真実を受け留めたなら、私たちも心を開いて、

「心で行けばいいんだ」と分かって嬉しくなります。また、私たちのような罪人も、キリストの

贖いの故に裁きの時の刑罰を受けなくても良いことが分かり、「イエス様は凄いなー」と

感動します。


ですから、地上で犯したこれまでの罪に対しては、自分を守らず、素直に悔い改め、責任を取って

行くべきです。創造主は、キリストにすべての支配と権威をお与えになりました。

だから、私たちは、
ただへりくだって、キリストに従うだけです。この生き方は、世の価値観と

霊の価値観をごちゃ混ぜにした生き方ではありません。イエス様一本の生き方です。

これが「キリストに在って歩む」生き方です。

C 私たちは、「キリストに在って歩む」生き方を、普段の生き方の中で、行動によって現して

いかなければなりません。それは、「キリストに根ざし、キリストに在って建てられた(7節)」

生き方を行動で表して行く生き方です。それによって、創造主の奥義が一つ一つ心で分かってくる

のです。私たちは、キリストに対する堅い信頼(5節)に立って行きましょう。これを失ったら、

どう生きたらよいのか分からなくなって、世に戻って行ってしまうでしょう。私たちが、このように

歩むことによって、信じる者に働く全能の御力が、どんなに偉大であるか、
           
又、
聖徒たちが受け継ぐ嗣業が、どんなに栄光に富んだものかが、分かってくるのです。

この「キリストに在って歩む」生き方に進んでいきましょう。
  



                                        

  
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