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2012年3月11日




『弱いところに完全に現れる』


第Uコリント12章1〜10節




  

@ 主がパウロに語られた御言−「わたしの力は弱いところに完全に現れるからである」−の

意味を考え、学びたい
と思います。


A さて、パウロは、第三の天であるパラダイスに引き上げられたと証ししています。

そこは創造主のいらっしゃる所であり、イエス様はその右の御座に着かれました。パウロはそこで

啓示を見たのでしょう。その啓示があまりにもすばらしかったと言っています。彼は、それまで

秘められていた奥義を明らかにし、キリストによる贖いの福音を明らかにしました。しかし、彼の

その特別な経験は、誇って高慢になり、悪魔に誘惑される方向に向かってしまう可能性もあります

から、創造主はサタンがパウロを打つのを許されました。そして、肉体に一つのとげを与え、

苦しめています。それは、弱さがあると、主に心を向けるからです。
そして、そのパウロに主は

言われたのです。「私の恵みは、あなたに十分である。私の力は弱いところに完全に現れるから

である。」



B 
では、「主の力は弱いところに完全に現れる」とはどういう意味でしょうか。

私たちは、この地上では、たとえ救われた者でも、肉の弱さを持っているという事です。

 ところが私たちは、次のように考えてしまいがちです。「救われたのだから、この地上では主が

守ってくれるし、創造主の子供とされたのだから、天国のように全部うまくいく。」と。

しかしながら、この地上はサタンが落とされた地であり、地上の支配者はサタンなのですから、

この地上は、人間にとって不都合な事ばかり起こってくる場所です。しかも私たちは、

この地上においては、アダムの子孫の肉を持っていますから、地上では罪人のかしらとして、

不自由があり、戦いがあるのです。ですから、地上でハンディーを持つことは当然の事として

受け入れていかなければなりません。

 イエス様も人の肉を取ってこられたが故に、同じように苦しみ、悲しみを味わわれました。

だから、イエス様はそういう者たちの心が分かるのです。そこで、「弱さの中に介入して補い助ける

から、弱さを持っているからダメだと思わずに、頑張ってきなさい。」と言って下さるのです。

しかし、それでも、自分のやりたいように、やろうとする人は、主の助けを求めようとしません。

傲慢で自分の弱さを認めようとしないからです。
しかし、弱さを抱えながらも、用いられたいという

心があるなら、へりくだって主の助けを求めてやっていこうとします。
たとい1タラントの者でも

5タラントの働きをさせてくださるのです。弱いところに主の力が働くからです。「出来ない。」と

言って身を引かない限り、主は助けてくださいます。その結果私たちは、「こんな者でも、主が

先立って助けてくださり、用いてくださった!」と、主の御名を褒め称える者とされるのです。

そして、弱さの中に、主が働いてくださることを知るのです。


C 生まれながらの肉の性質は、誰でも持っています。それは、私達の信仰の邪魔をします。

それでも、主の助けを十分受けることが出来ます。弱さがあっても、それに縛られないのが、

砕かれた魂です。また空っぽの器です。もし、悪魔によって弱さに縛られていなければ、弱い

けれども主の故にやろうとします。ですから、そこに信仰による行いが起こってきます。

主の役に立つ者になりたいという心が、へりくだって主の助けを求めていく方向に向かうからです。

求めて来る者を主は助けてくださいます。この御言葉は、真実ですから、どこまでも主に頼って、

役立つ者とされて行きましょう。

                                        

  
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