『聖書には矛盾があり、様々な食い違いがある、
という人々に!』
哲学博士のノーマン・L・ガイスラー氏は、聖書の中にある矛盾こそが、博士の一生をかけて
取り組んできた課題であるといい、その食い違い、間違い、矛盾と言われる800近くの
キリスト教信仰の批判も、その調査の結果、聖書の間違いは一つも見つけられないと言いました。
むしろ、キリスト教批評家の反論こそ、多くの誤りがあると言っています。
例えば、よく引き合いに出される、マタイとヨハネが記している「イエスの墓に現われた
天使の数」の食い違いは、ヨハネが二人と記し、マタイは一人と記していても、調査をすれば、
「大は小を兼ねる」と結論できるといいます。マタイは、いなかったとは言っていません。
ヨハネは、マタイより詳細まで書き込んだということで、間違いといえる問題ではありません。
むしろ、マタイは直接墓に行った人間ではないので、伝え聞いた話しを、全体の大意を掴んで
記しています。しかし、ヨハネは、直接墓に行った目撃者として、正確に二人と書いています。
これは、間違いと言うより、著者の視点の相違で、人間ならよくあることです。
しかし、その内容の食い違いは、一切ありません。これが聖書なのです。
又、イスカリオテのユダの死に関して、福音書では「首を吊った」とありますが、使徒行伝
では、「内臓が飛び出した」とあります。これは矛盾ではありません。当時の自殺は、木か
断崖で首を吊るのが普通です。ユダヤ人は死人に触れるのは禁じられていましたので、
首を吊った後は、紐をナイフで切ることになります。すると、死体は岩に叩きつけられて、
内蔵が飛び出します。ですから、これも相補的説明となります。このように、ガイスラー博士の
取り組んだ問題は全て、史実を調べる程、聖書の矛盾と言われるものが、かえって真実を証し
するものとなっているのです。
|
イエスの墓に現われた天使の数は? |
|