ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2011年 NO.392


『聖書には矛盾があり、様々な食い違いがある
という人々に!





哲学博士のノーマン・L・ガイスラー氏は、聖書の中にある矛盾こそが、博士の一生をかけて

取り組んできた課題であるといい、その食い違い、間違い、矛盾と言われる800近くの

キリスト教信仰の批判も、その調査の結果、
聖書の間違いは一つも見つけられないと言いました。

むしろ、キリスト教批評家の反論こそ、多くの誤りがあると言っています。

 例えば、よく引き合いに出される、マタイとヨハネが記している「イエスの墓に現われた

天使の数」の食い違いは、ヨハネが二人と記し、マタイは一人と記していても、調査をすれば、

「大は小を兼ねる」と結論できるといいます。マタイは、いなかったとは言っていません。

ヨハネは、マタイより詳細まで書き込んだということで、間違いといえる問題ではありません。

むしろ、マタイは直接墓に行った人間ではないので、伝え聞いた話しを、全体の大意を掴んで

記しています。しかし、ヨハネは、直接墓に行った目撃者として、正確に二人と書いています。

これは、間違いと言うより、著者の視点の相違で、人間ならよくあることです。

しかし、その内容の食い違いは、一切ありません。これが聖書なのです。

 又、イスカリオテのユダの死に関して、福音書では「首を吊った」とありますが、使徒行伝

では、「内臓が飛び出した」とあります。これは矛盾ではありません。当時の自殺は、木か

断崖で首を吊るのが普通です。ユダヤ人は死人に触れるのは禁じられていましたので、

首を吊った後は、紐をナイフで切ることになります。すると、死体は岩に叩きつけられて、

内蔵が飛び出します。ですから、これも相補的説明となります。このように、
ガイスラー博士の

取り組んだ問題は全て、史実を調べる程、聖書の矛盾と言われるものが、かえって真実を証し

するものとなっているのです。


イエスの墓に現われた天使の数は?

                       


                           


     
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室