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2011年 NO.393


『「キリスト以外に救いはない」という宗教は傲慢極まりない


 聖書には、「この方による以外に救いはありません。私たちを救いうる名は、この御名の他に、

天下の誰にも与えられていないからです。」
(使4:12 創造主訳より)とあります。

確かに「キリスト教は排他的だ。」というのは事実でしょう。

 しかし、真実が排他的ではなかったら、真実としての主張は成り立ちません。

排他的でなかったら、それは、単なる意見です。真実であると主張することは、その反対は

間違いということです。実は、排他性を否定する人たちも、結局は自分たちの考えが正しいと

声高に訴えているわけです。ですから、その人たちも傲慢であるという事に変わりありません。

非難する人は、この事をよく考えないで発言しています。
 
ですから、排他的な発言をするのは、キリスト教だけではありません。

もちろん、イスラム教も仏教も、ヒンズー教も、ユダヤ教も、そして進化論も、

みな排他性を持っているということです。

しかし、どんなに真実を語っても、そこに愛が伴わなければ、不快感や嫌悪感を与えて、

傲慢に聞こえてしまうでしょう。

ですから、クリスチャンは、排他性を持つ真実を、優しく伝えるべきです。

しかしながら、いくら優しく伝えても、真実に対する抵抗が強い場合は、どうにもなりません。

ですから、キリスト教がいくら排他性を持っていても、信じるか信じないかはその人の

自由裁量にあります。決して強制ではありません。
だから、信じる者のみ救われるのです。

救いを得る自由には、排他性がないことに感謝したいものです。
 


「この方による以外に救いはありません」


                       


                           


     
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