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2011年8月7日



主の心にかなった生き方



ヨハネ5章21節




  

@ 今朝は、イエス様の「心にかなう人々」とはどういう人々なのかを考え、

主の御心にかなった信仰の歩みについて学びたいと思います。

A さて、創造主は、死人を甦らせて命を与えることの出来るお方です。

同じように、御子であるイエス様も、その「心にかなう人々」に命を与える事の出来る

お方です。終わりの時、墓の中にいる者たちは、
御子の声を聞くと全ての人々が甦るのです

しかしその甦りには決定的な違いがあります。

善を行った人々は、命を受けるために甦りますが、悪を行った人々は、さばきを受けるために

甦るからです。
私たち人間は動物とは違い、創造主に似る者とされ、「生きる霊」を与えられて

生きる者となりました。ですから、それぞれの生き方に責任があります。

それは、主の「心にかなった生き方」をしていくことです。

B では、
主の心にかなった生き方とは、どのようなものか考えてみましょう。

私は、ジョイフルで子どもたちの証を聞くといつも感動します。それは、自分の罪について、

赤裸々にハッキリと告白するからです。例えば盗みをしたら「盗んだ」と告白します。

ところが大人は、盗んでも「失敬した」などと体よく表現し、上手に身を処していこうと

します。

しかし、子供の証は、ぼくとつとした飾らない純粋さに感動を覚えます。

そして、この心の鋭い感受性こそイエス様の「心にかなう人々」につながるものであり、

イエス様の贖いが自分の罪のためであることをハッキリと心で理解できる者です。

イエス様は、心にかなった者に命を与えると言われました。それは、たとい極悪人だったと

しても、真実に悔い改めたなら受け入れて下さるということです。

創造主の御心は、「子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ること」だからです。

即ち、イエス様を信じる私たちを永遠の命の中に入れて下さるのです。これ以上の贈り物は

ありません。ならば私たちは、イエス様の御心にかなう者になるべきではないでしょうか。

しかしながら私たちは多くの場合、自分の考えの中に生きています。

例えば、自分に任された主の働きに対しても、自分の気持ちが満たされないと、簡単に、

自分の気に入った仕事をしたいと思って部署替えを願ったりするのです。

そのような人は、自分の我を出すことに恐れを持っていません。自分の思い、自分の考えを

第一にして、自分のためにするのです。それがあたかも主の御心であるかのように考えて

しまうのです。しかし主のお考えは、託された仕事がどんなに目立たなく華々しい成果の出ない

ものであったとしても、主の前に喜んで仕え続けていくことを願っておられるのです。

そこに
必要な心は、「砕かれた悔いし心」です(詩篇34編18)。その人は我を出しません。

自分の罪深さを自覚していますから、イエス様に対してへりくだる心を以て

「成すべきことをしただけです。」と、心から叫ぶことが出来るのです。

ですから、
与えられた仕事を主の故にどこまでも忠実にやっていこうと徹し、

心を注ぎ出すのです。このような生き方こそ、主の御心にかなった生き方なのです。

C 多くのクリスチャンは、自分の罪を自覚するより、恵みを覚えることが正しいと

思っています。しかし、自分の罪を覚し、「罪深い人間を赦して下さるイエス様」と、

「砕かれた悔いし心を持ってへりくだり、イエス様に近づく者」こそ御心にかなった者では

ないでしょうか。
「心にかなった者に命を与える」と言われたイエス様の心を覚えて、

砕かれた献身の心で仕えていきましょう。
 

                                        

  
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