@ 今朝は、「水と御霊によって生まれなければ、創造主の国に入ることはできない。」と
言われたイエス様のおことばを考え、新しく生まれる者とされたいと思います。
A さて、ニコデモが夜イエス様のもとにやって来ました。
彼は、サンヒドリンの議員でもあり、エリートでした。そのため、夜になってからこっそりと
イエス様を訪ねて来たのです。
そして言いました。「先生、私たちはあなたが創造主から来られた教師であることを
知っています。・・・あなたがなさっているようなしるしは、誰にもできません。」。
それに対してイエス様は「誰でも新しく生まれなければ、創造主の国を見ることは
できない。」と突然言われたのです。すると、ニコデモは「もう一度母の胎に入って生まれる
ことができるのですか?・・・どうしてそんなことがあり得ましょうか。」と、驚いたのです。
B では、私たちも「新しく生まれる」とはどういうことなのか考えてみましょう。
イエス様は、面食らっているニコデモに言われました。「人は、水と御霊によって生まれ
なければ、創造主の国に入ることはできません。」と。すなわち、新しく生まれるとは、
「水と御霊によって生まれる」という条件がいるのです。
水とは、バプテスマのことです。水の中に身体を沈めることですが、それは罪からのきよめを
意味しています。(民数記31章23、レビ14章8)。
それでは、罪とは何でしょうか。盗み・いじめ・殺人などの、外側にハッキリ現れた罪も
そうですが、それよりもやっかいな罪は、私たちの心の中にある罪です。
それは、口に出ださなくても、密かに心の中で「おまえなんか死んでしまえ」と思う
醜い考えです。私たちの心の中には、いつも、えげつない思いが潜んでいます。
こんな醜い思いを抱く者が、創造主の国に入ることは出来ないだろうと誰もが思います。
では、心機一転、自分の心を完全に新しく変えることはできないでしょうか。否、これもとても
無理です。また母の胎に入って、新しく始めることも出来ません。
だから、ただ罪人のままで入れてもらうしかないのです。
それは、「私たちの罪を贖ってくださる方が由し。」と言って受け入れて下さる許可が
必要です。その方は、私たちに命を与え、仕組んで下さった方です。即ち創造主です。
罪というものは赦してもらって初めて赦されるものであって、赦されなければ、私たちが
いくら赦しを願ってもダメです。ですから、へりくだって、自分は罪人であると自覚して、
正直に罪を言い表して清めていただくために水を浴びるのです(Tヨハネ1章8,9)。
そして、創造主から「赦す」と言っていただくことが、必要です。
これが、水によって生まれるということなのです。
C 私たちは、自分の罪の償いを自分では出来ません。ですから創造主が、代わりにイエス様に
贖いをさせ、私たちを責め立てている債務証書を十字架に釘付けにして無効にされました。
だから、罪を赦すことのできるのは、人間の罪の債務を無効に出来る創り主だけです。
それは、罪人に罪の赦しを与えて、創造主の国に入れて下さるのがイエス・キリスト
だからです。創造主の御子であられるキリストご自身が、私たちの罪の債務を全部引き受けて
下さり、身代わりとなって命をお捨て下さったからです。
このことを信じることが、御霊によって生まれるということです。
この二つがなければ創造主の国に入ることは出来ない。」と言われたのです。
それは、「信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
イエス・キリストが語られた言葉を信じて受け取って御国に入れられる者になって下さい。 |