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2011年7月3日



キリストに焦点を合わせる


コロサイ2章1〜7節




  

@ 今朝は、私たちが、イエス・キリストに焦点を合わせて生きていくことについて、

学びたいと思います。

A さて、私たちがイエス・キリストを信じたとき、信じる以前とは価値観の違う生き方に、

切り替えがされてきたかどうか吟味する必要があります。

というのは、子どもの頃から培われてきた世の常識や価値観が、信じた後もそのままであるなら、

キリストにあっては正しいものではないからです。

例えば、イエス様の弟子となって従って行きたいと思った人が、「まず、父を葬らせてください。

それから従って行きます。」と言ったとき、イエス様は「死人は死人に葬らせなさい。」と

言われ、「あなたは、先ず私に従いなさい。」と言われたのです。

父を葬ることは、世の常識です。

しかし、それを別の者に委ねて、「あなたは、先ず私に従え」と、主にある価値観を

示されました。創造主が居ない価値観は、自分が主人公です。私たちはその中で生き、

それが染みついています。それ故パウロは勧めています。「あなたがたは主イエス・キリストを

受け入れたのだから、キリストにあって歩みなさい。」と。

それは、キリストに焦点を合わせて生きていく事です。


B では、
キリストに焦点を合わせた生き方について考えてみましょう。

私たちは、自分の心の思いと行いが、「キリストに根ざし、キリストにあって建てられ、

キリストに教えられたように、主を信じ仰ぐ心が確立されて」いるでしょうか?

キリストを知る前の私たちは、偶像につながった価値観の中で、偶像に義理立てしながら

生きてきました。また、人間中心な世間の価値観に合わせることによって自分を守ろうとしたり、

そうかと思うと、自分の利益だけを追求する身勝手な生き方を当たり前のようにして、

偽善の中で生きてきました。

ところが、キリストを信じた後でも、世から遊離したくないと考え、世の常識的価値観、

人間中心なヒューマニズムや悪霊(偶像)に関する習慣に騙されて、主と世の間を行ったり

来たりしていたのです。それは、何を基準に歩んだらよいのかが分かっていなかったからです。

クリスチャンの生き方の価値観は、「キリストにあって歩む」(26節)生き方です。

即ち、
キリストに在って、それが正しいことなのか、キリストに在って価値あることなのか、

と常にキリストに焦点を合わせて考えていくことです。それは時には世の価値観に逆らうことに

なり、世との軋轢が起こってくるかも知れません。しかし、創造主と関わりのあるものなら、

永遠につながるものであり、永遠の価値があるのですから、正しいことなのです。


そうでないものはみな、滅んでいくものです。ですから、私たちの心の中で、はっきりと生き方を

切り替えたかどうかは大事なことです。
私たちの救いは完成しているのですから、それ以上何が

必要でしょうか。だから「イエス様がヨシッと言われる事ならやります!」と、

私たちはキリストに焦点を合わせて、キリストのために生きていけばいいのです。

そうすればシンプルな生き方となっていくでしょう。

C 「あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、一切主イエスの名に

よってなし、彼によって父なる創造主に感謝しなさい。」
317節)。

私たちは、永遠のことについて何も心配しなくてもよく、ただイエス様のために、シンプルな心で

生きていけばいいのです。
これがコロサイ書の目的です。

私たちは、「そこまでキリストを第一とするのか!」と言われるような生き方をしていきたい。

ここに心を砕いていきましょう。

                                        

  
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