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2011年6月26日



心に結びついた創造主の確信


第Tヨハネ1章1〜4節




  

@ 今朝は、私たちの創造主に対する確信が、自分自身の生き方につながっていく事を

学びたいと思います。

A さて、私たちが創造主について学び、自分にとって創造主がどういう方であるのかが

分かってくれば、自分自身と創造主との直接的な結びつきが生まれてくるはずです。

ところが、創造主の存在は分かっても、今更、「それが何んなの」としらけてしまう人もいます。

「自分にとって、創造主はどういうお方なのか」ということが

はっきりと心に入っていないからです。

ですから、進化論者の主張に対して弱気になり、確信のない態度を現してしまうのです。

しかし、進化論のそもそもの始まりは、似た生物が一杯いるから・・・という先入観から

出てきたもので、そこには何の根拠もなく、科学的に証明もされていません。


一方、
使徒ヨハネは、はっきりと語っています。

「私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見て手で触ったもの・・・」と。


また、創造主の存在を確信するが故に、
宇宙には計算の成り立つルールがあり、自然界を観測した

アインシュタインやニュートンなどの科学者たちは、様々な秩序ある法則を見出したのです。


全てのものの始まりは、創造主にあるという聖書のことばは、こじつけではないのです。

B では、
創造主と結びついた生き方について考えてみましょう。

私たちは、創造主がおられなければ、何も存在できなかったことが分かっています。

また、自分自身も創造された者であり、いのちを与えられた者だと分かってきます。

ただこの事実が、私たちの心に入っているかどうかが大事なポイントなのです。

もし心に結びつけられているなら、「自分が創造主に従うのは当然だ。」となります。

ところが私たちは、当然の権利のように反発し、反抗し、文句を言います。

そして、「しょうがない」、「仕方ない」、という論理で、御ことばに従えない自分を

正当化します。それは、自分自身を王にし、主人にして生きているからです。

そのことは、その人にとって創造主が、ただの頭だけの存在でしかないのです。

もし、
創造主に従うことしかないことが分かれば、間違いを指摘されたときには、

「そうですね。」と素直に認めて悔い改め、そこから離れていこうとします。


創造主に逆らったら、イエスキリストの救いは永遠になくなるからです。

こうして、罪を犯し続けていくことはできなくなるのです。

これが、創造主と結びついた生き方なのです。

C 
私たちが創造主を心に入れるなら、目で見て、聞いて、手で触っているものとなり、

心に結びついた創造主を証ししていく者になっていくでしょう。

また、創造主に全てを任せて生きていけばいいという生き方になり、
完全に従って行こうと

分かって、「ありがとうございます!」となっていくでしょう。
そして、見返りを求めない

アガペーの愛を実践していく者になっていくことでしょう。私たちは、頭だけの者ではなく

心に結びつけられた者として、真理の下に歩んでいきたいのです。

                                        

  
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