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2011年6月12日



信仰の戦い


ユダ3〜16節




  

@ 今朝は、信仰の戦いについて、(こと)に、自分自身と戦うことについて考えたい

思います。

A さて、
ユダ書は、クリスチャンたちに向けて書かれた手紙です。

その
目的は、信仰のために戦うことを勧める手紙でした(3節)。

というのは、不敬虔な人々が忍び込んできて、創造主の恵みを放縦な生活に変えて

しまったからです。放縦というのは、主の御言から離れて自分勝手な欲望のままに

生きていくということです。本来の人間の肉の性質の中には、自分の思い通りに

生きていきたいという身勝手さがあります。


しかし、御言によるなら、主の御心の中に生きていくということが、クリスチャンの

大前提なのです。
ところが、主の御心ということは自分たちの思い通りではありませんから、

ここに戦いが起こって来るのです。私たちは、日常生活でいつもこの戦いをしている訳で、

時には、自分の思い通りにする、と決めてしまうこともあるのです。

そこで、
主の御心の中に生きていくために信仰の戦いを、ここで勧められているのです。

B では、信仰の戦いについて考えてみましょう。

ユダが指摘している不敬虔な人々が忍び込んでくるというのは、世の常にあることです。

人間は、本能では絶対者(創造主)は居るだろうなと思っても、自分を支配する神を

認めたくないと思う感情が働くのです。それでも、自分に御利益をくれる神は信じたいと

思っています。この思いも感情です。もし理性的に考えるなら、自分は偶然に

生まれてきたのではなく、自分を生まれさせた方がいると分かるでしょう。

この世界の自然の法則や、自分の命の中で自分が造ったところは一つもありません。

ですから、生きていける状況を整えた方がおられるということは、当然なことです。

ところが私たち人間は、自分の思い通りに行きたいという、わがままな感情を持っており、

その感情が理性的な思いを越えて、「感情がついていけないから」、と言って、自分の道に

行くのです。特に女性は感情に操られやすいものを持っていますから、サタンはまずエバの

所にやって来て誘惑したのです。またユダヤ人が今なお律法にしがみついて、

イエス・キリストのもとに来ることができないのは、律法を主から貰ったという誇りが感情の

中に働いているからです。このように、自分の感情に支配されていくなら、信仰はどんどん

おかしくなって主から離れていき、「自分の力に頼ってやるしかない」といって行き詰まり、

恥が泡となって吹き出してくるのです。自分の力でなんとかしようとする戦いは、

なんと虚しい戦いでしょうか! 私たちのこの感情は一生無くなりません。

しかし、
この感情から離れることはできます。

まず、自分の感情をありのまま主に申し上げることです。

それから
テーブルに、理性的な信仰の考えを置くのです。

そして、
二面性の両方を述べてから、「あなたのお言葉を、そのまま聞きますから

教えてください。」、と御霊に聞くのです。
このとき主は、私達の感情の思いも知った上で、

天から見た公平な考えを語ってくださいます。


ですから、
そのとおりだと受け入れるなら、心に平安がやってくるのです。

こうして、
安心と平安を持って歩み出すことができるのです。これが戦いの勝利です。

C 私たちは、自分の中に感情があるという現実を認めるべきです。

しかし私たちは、感情にあっても、主に対して生きているものですから、

感情を主に明け渡して、主に聞いて生きていく道を選んで行きましょう。

それが、信仰の勝利者となる道ですから。

                                        

  
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