教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2011年2月27日



キリストのために生きる


第Uコリント5章11〜21節




  

@ 今朝は、1517節を中心に、「もはや自分のためにではなく、自分のために死んで

よみがえった方のために生きる」
ということが、私達の現実の生き方になっていくことを

考えて行きたいと思います。


A さて、「もはや自分のために生きるのではなく・・・」とあります。

ところが普段の私たちには、「自分のために生きることが染みついています。」

それは、私たちすべての人間は「霊と魂と体」によって構成されていて、その魂の部分が

生まれながらの肉の影響を受けてしまうからです。

実に、「肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう」という現実の中にクリスチャンはあるのです。

ですから、肉が御霊によって治められて行くならば、勝利できるでしょう。

ならば、クリスチャンとしての健全な生き方は、「もはや自分のために生きていく」ことでは

なくなるのです。

B では、御霊によって生きる霊的な生き方、即ち、
キリストのために生きる生き方について

考えてみましょう。

まず、キリストのために生きようとするとき、一番の障害となるのは、魂の部分です。

すなわち、肉と言われる「精神(心)、知性、感情」を、普段どのように使っているかが

問題なのです。

例えば、主の奉仕をするに当たっても、自分の都合で考えてやっていこうとするなら、

それは御霊による判断ではなく、自分の感情による判断となるでしょう。

それは、冷静かつ聖書に基ずく論理的な判断ではないからです。確かに子どもの頃の特徴は、

感情まかせで身勝手です。それが大人へと成長するに従って、感情はおさめられていきます。

しかし、だからといって、感情がいつも正しく収められているわけではありません。

自分を守ろうとする感情の反応は、いつも出てくるのです。悪魔はこの部分に働き、

その感情が正義であるかのように思わせ、御霊の思いを超えさせてしまうのです。

又その肉の感情は、この世の情を大切にします。それによって、霊的な正しい判断が出来なく

なってしまうのです。そこで、私たちが、
主の御心にそった霊的な判断をして行きたいと

願うなら、肉の感情を否定し、砕いていかねばなりません


ですからパウロは言っています。「人間的な標準でキリストを知ろうとはしません」と。

その意味はこうです。「信じた当初は、御利益を求めて信じたのですが、

今は、自分の肉の為ではなく、キリストのために生きることだと分かってきました。

だから、人間的な標準で、キリストを知ろうとしないのであり、肉の感情で対応することは

しないのです。」何故なら、私はキリストと共に死んだのですから、もはや古い自分は

過ぎ去りました。
ですから、霊的な判断で生きていく新しい生き方、

即ち、自分のためではなく、
死んでよみがえったキリストのために生きていけばいいのです。

それが肉を砕く、砕かれた悔いた心なのです。


C 私たちは、
肉的な考え方から、主を見上げて、霊的な考えに切り替えていくべきです。

なぜなら、私たちは、
正しい知性に基づいて判断をし、正々堂々と主のために

生きて行きたいからです。
また、堅く信仰に立って、肉の感情を砕いていくとき、聖霊様の

力強い助けを受けていくことが出来ます。こうして、私達は、キリストのために生きる

現実の生涯を送ることが出来るのです。この信仰に勇気を持って踏み出していきましょう。

                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室